こころがまだ水のころ 広瀬弓
空のまなざしは低く
水色と青の上にあると言われる
気圈や宇宙の言葉を知らなかった
対話だけがあった
ドッチニシヨウカナ
カミサマノイウトオリカキノタネ
どっちでもよくなくて
どっちかでならなくて
いつも選ばれなくてはならなかった
空の声のするところは低く
直接こころに流れてきた
それとも
耳をつたわったのだろうか
ブランコを思いきりこいで
木の葉につま先が届きそうになるまでこぐと
すぐ近くに降りている面だけの方
あたたかくもやわらかくもない
大き過ぎるので
顔が見えなかった
その方はとても小さくわたしのなかにもいるようだった
どんな形にもなれる対話
うつしたり
とかしたり
べつの名で呼ばれたり
※
私はこの詩から殆どイメージを受け取らない。
けれども読み終わると何かが残る、というか心にぽっかりと穴が開いたような感じがする。これはもう少しくわしく言うと、心のありようである。しかし、それ以上は何ともいいようがない。
一蓮目については一つ一つの言葉が生き生きと息づいていて、私はこの部分がとても好きだ。でも、だからといって、やはり特別のイメージがわいてくるわけではない。
イメージではなく、心の動きというか、考え方のようなものがある、実感を持ってつたわってくる。そのなかでも特に「対話」というのが残る。
そして、第二蓮目はこの心の存在証明のような感じがします。
第三と四蓮目はもう一度、空にたくして心のありようを確認しているようです。
四蓮目についていえば、この詩のなかで私がいちばん好きな部分で
<その方はとても小さくわたしの中にもいるようだった>
というのが特別心に残りました。このなかに、心のありようを詩で書くという一つの頂点が
あるような気がします。そして、「対話」がとてつもなく大きなものに感じられます。私はこの詩を読みながら、この詩を読む間じゅう「こころがまだ水のころ」という言葉を思い浮かべていました。
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