電話ボックスに降る雨 北川朱美
厨房で
一心不乱に料理を作る人のうしろ姿を
眺めていた
その人は
スープを素早くかきまわしかと思うと
キャベツを刻み
熱くなった油の中にパン粉をつけた魚を入れると
流しに走って皿を洗った
それはまるで
アンデスの祭りのようだった
気に吊り下げた鉦を鳴らしたかと思うと
足元の壺を叩き 虎の骨を打つ
――バッハもモーツアルトも
今より半音低かったんだよ
時代に引かれて高くなってしまった
そう言った人は 何度も携帯電話が鳴り
その度に私たちは
とつぜん電源を引き抜かれた機械のように ちぎれて
中空をさまよった
たくさんの鍋や皿がぶつかる音が
細かいちりになって舞いあがり
世界わ覆っていく
いつだったか けんか別れした人に
公衆電話から電話をかけたことがあった
長い沈黙のあと彼は言った
――今、どこにいるの?
私は海に降る雨のことを思った
音もなく海面を叩いて
魚たちにすら気づかれぬ雨
名前のない場所のまん中で
耳から 何百年も前の音をあふれさせて
遠い人の声を聞き取ろうとした
※
何回かこの詩を読んで、私の記憶に残ったのはタイトルの<電話ボックスに降る雨>
と<私は海に降る雨のことを思った 音もなく海面を叩いて 魚たちにすら気づかれぬ雨 名前のない場所のまん中で 耳から 何百年もの前の音をあふれさせて 遠い人の声を聞き取ろうとした>です。
はじめに<電話ボックスに降る雨>ついていえば短編小説のタイトルのようでもあり、また懐かしい映画の一シーンように感じます。
なにかしら、毎日の日常世界よりもちょっと遠くにあって、しかも妙にリアリスティックな感じがします。
これは、私を誘うようです。そして近づいていくと、すうっと遠ざかる。もしかしたら、こういう場所は本当にあるのかも知れません。
街の中に、あるいはレストランの片隅に、あるいはあなたの心の片隅にも。それをじいっと眺めていると、ますます吸い込まれ、遂には名前もない場所のまん中までいってしまうのかも知れません。そこでは遠い人の声が聞こえてきます。
もしかしたら、日常世界のなかでは本当の聞きたい人の声はこんなふうにしか聞こえて
こないのかも知れません。
ところでちょっと飛躍しているかもしれませんが、私の大好きな芭蕉の句のなかの一つに
さまざまなこと 思い出す 桜かな
というのがあります。この句を詠む度に桜の花の散る向こう側で、人の声が聞こえてくるような気がします。
そして、私は思います。<電話ボックスに降る雨>と<さまざまな桜>はアリスの穴とつながっているのではないかと思うのです。
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