愛の動詞 左子真由美
■Manger
食べること。46億年のむかしから、何かは何かを食べ続けてきた。何かは何かの餌になってきた。食べることは祝祭。食べることは弔い。いのちがいのちを食べる。大地はいのちを吸って哀しく、やさしく熟れていく。地球はまるごと美しい果実。愛することは食べられること。食べられてもいいと思うこと。マンジェ
。いのちを差し出すこと。
■Oublier
忘れること。雨傘を。本を。サラダに胡椒をいれるのを。約束の時間を。 忘れたものはどこへ行くのだろう。どこかに大きな忘れものの箱があって、その中にみんな詰まっているのかしら。ちっちゃな部屋から
飛びだしたものたち。 入りきらなかった思い出。みんなみんなどこに? ウブリエ。まだ雨のしずくがしたたっている雨傘。
※
私もことばについての詩を書こうとしたことがあります(でも、実際にはまだ書いたことはありません)。
そして、そういう詩を何度も読んだこともあり、その度に「なんて上手なんだろう!」とか「ぜんぜんつまらない!」とか反応してしまいます。
ということは、私にとって楽しいことです。何故かというと、ことばについての詩は純粋な遊びのように
感じられるからだと思います。ちいさな子どもが積み木やクレヨンで好き勝手に遊ぶように私もことばで
遊びたい。
ところで、「愛の動詞」から二つを、MangerとOublierを選びましたが、この二つは特に最近の私にとって大変身近なことばだからです。私は多分四六時中、これらのことばを使って遊んでいるのだと思います。
それにしても遊びというのは子どもでも私でも随分自由にしてくれるし、遠くまで連れて行ってくれます。
Manger〈食べること〉、あれやこれや遊んでいって、〈いのちを差し出すこと〉となると何とも自由な感じがするのです。
Oublier〈忘れること〉、あれを忘れたり、これを忘れたり、まるで私の毎日のようです。そして、最後に
ウブリエ。〈まだ雨のしずくのしたたつている傘〉となると、時間というものを充分に感じるのです。
はじめに、遊ぶと書きましたけれど、この詩人が毎日を一生懸命生きて、ことばを大切にして、ことばを使って考えたり、悩んだりしているのが、とても嬉しいというか、好ましく思えるのです。
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