もうひとつ不思議に思うのは

もう一つ不思議に思うのは、ギリシャでは、時間の使い方というか、感じ方というか、時間についての考え方がちがうことである。普通は時間は過去、現在、未来というように一直線上に動いて行くように思われているが、ギリシャでは少し違うようだ。
 たとえば、「イリアス」を読んでいると、何かがちょっと違うような気がする。人間の他に神々がいるのだから、時々くらくらっとするのである。つまり、小さいときがあって、青春時代があって、今があるとかそういうふうにことがはこばない。神々は死なないのだから、人間と同じようではない。ゆったりと浮気を
したり、嫉妬したり、急にきまぐれにかっさらっていったりする。
 どうしても、変なことが起こる。普通、パリスとヘクトールとアキレスは同世代の青年のように思っていた。ところが、パリスはティテスとペレーウスの結婚式の後、エリスの出現で美の審判をゼウスから
仰せつかるのだから、アキレスがまだ生まれているはずはないのだ。だから、少なくとも十年から二十年の違いがあるはずであるのに、そんなこと考えたこともなかったというふうになる。
これは、わたしたち現代人がすっかり失ってしまったものが、まだあるというか、ちらりと見えるものがあるのである。私たちは現在見えないものをちらと見たり、くらくらっとなったりする。ギリシャでは時間が
螺旋状に動いているという。なにか同じ所をぐるぐるまわりながら。少しずつ、前とは違ったところにいる。ちょうど日本人が桜の花を見るところと時が同じでも少しずつずれていくように。(この桜の花と雪の時の感覚はもしかしたら、ギリシャ的かも知れない。)螺旋状ということは
方向性があって、どこかへ向かっているということらしい。

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