漕ぐひと 荒川みやこ
明け方 車をだしてもらう
助手席にすわっていると前のほうに
ボートを漕ぐひとが見える
もやが波に見えて
波の中に大きな岩がでていて
そこから 漕ぐひとが一人沖に向かう
水平線がうっすら歪曲してきた
となりで 連れがハンドルを握りながら
スピードをすこしずつ上げる
魚のように息を吸って前を見ている
漕ぐ人は オールをぴっちりそろえ
影になり
波をとらえ
救命袋がついたチョッキを着ている
ぷくぷく膨らんでいるのがよくわかる
こっちは
シートベルトのせいで胸がペチャンコだ
バンパーに 魚が平たく重なって
張りついてきた
海までは遠いが
高速を降りるまで漕ぐひとに見とれている
詩は日常世界からの脱出とか、飛躍とかいわれますが、この作品はかなりその典型のような気がします。
とにかく、とにかく私は<バンパーに魚が平たく重なって 張りついてきた>という言葉を読んだとき、ほんとうにびっくりしてしまいました。
そして、私は日常世界から見事に追放されました。
こんなことって、あるのかと思いましたが、しかし、この言葉を読んでしまったからには、そして、妙な開放感を味わってしまったからには、なんと言っても受け入れざるを得ないという感じです。
この詩はごくごく普通の日常的な風景が書かれています。しかし、よく注意してみると「漕ぐひと」が妙にくわしく描かれています。漕ぐひとがたいして面白くもないのに、妙に。
それと、隣りの運転しているひとが<魚のように息している>というのも気になります。
もしかしたら、こうした日常世界というのはすべてまやかしかも知れない。
そして、<バンパーに張りついた魚>だけが本当のことなのかも知れないと思えてきます。これはいわば寓話の世界なのかも知れません。
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