「時の算術」 村岡久美子
今日は、すでに春の八日目、二十七回目の春。時は過ぎてゆくもので、時が過ぎてゆくにつれて、いろいろなことが起こるということがわかってくる。時を計るあらゆる手段を試してみる。流れる時に刻みをつけたり、秒を束ねたり、紙の上に並べてみたりする。すると、時がリボンみたいに見えてくる。あるときはただの点みたいに。またあるときは小さな棘みたいに。
時の長さは、わかりにくいもの。一日はあまりに短く、あまりに長く、終わることがない。だから時の長さを観察することに一生を捧げる人びとがいる。彼らは「学者」と呼ばれている。しかし学者は、自分もやはりその中で生きている時の長さをけっして理解することはない。そして彼らは、突然この地上から消え去ってしまう。
*
有楽町の高架を環状線の電車が走る。高架の下では口のきけない靴磨きが木の椅子に腰かけている。重ね着した服に首を埋めて、冬も夏もずっとそこにいる。ありったけの服を着込んで、それでも彼はいつも寒がっているように見える。高架の下をとおり抜けていく風のせいだ。何メートルか先の向うのほうで吹いている風とはちがう。
靴磨きの手は干からびて黒ずみ、いびつになっている。瞳孔は開いたままになっている。薄暗がりの中でかすかに光る灰色の小さな釘を見分け、靴底に打ち込んでいく。見落としたり、斜めに打ったり、打ち損じたりすることはけっしてない。靴屋の眼は、針や糸や釘など、ごく小さなものには極度に敏感なのだ。それらより大きなものには焦点を合わせることができないのだ。
いま靴屋は、二人の口のきけない男と、セメントの壁に背中の瘤をもたれさせている男が一人。客がとぎれると、彼らの会議がはじまる。議論し、冗談を言い合い、頭をのけぞらせて笑う。やりとりが熱をおびてくると、彼らの仕草はますます大仰で奇妙なものになっていく。その会話を聞きとることはできない。絶え間なく頭上を走り抜けていく電車のせいだ。
彼らは、太陽は爬虫類の一種であるとの結論に達した。太陽は、彼らのいるところからけっして遠いところにいるわけではない。けれども彼らにはけっして会いに来ない。そこがどうにもわからなかったが、ひとりがその理由に思いあたった。
「あいつはたぶん、靴を持ってないんだ」
この明快な分析に彼らはわっと笑う。知性の勝利。
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