卵を埋める 高良留美子
卵を雪のなかに埋めている。
いまは二つの卵だけが上着のポケットに残っている。アヒルの卵より大きめの
丸みが、わたしの右手に触れている。左手にはさらに大きい、ぶよぶよの殻の
感触がある。指をつっこめばたちまち壊れてしまうだろう。
雪は神社の拝殿の階(きざはし)の横に水平に降り積もっている。わたしは目の前の垂直な断面に、すでに多くの卵を埋め終わった。外からは見えないが、白い卵が点々と雪の壁に埋まっているはずだ。
神社の重々しい屋根をかすめて、黒い鳥たちが飛び交っている。羽音をたてながら、しきりに鳴きかわしている。カラスだろうか。でも雪のなかの卵は保護色
だから、鳥たちの餌食になることはないだろう。
冷たい雪のなかで、卵は孵るだろうか。゛埋める”とは゛生める”なのだろうか。
鳥たちが卵の親だとわたしは感じている。
背後に、なにものかの気配がある。隠れ住むものをひっそりと包み込むような、厳かで穏やかな雰囲気がかもしだされている。地を踏まえ、天を指して立つ
御柱(おんばしら)だ。ここは生と死の再生の地、諏訪なのだ。
子どもたちの声が聞こえる。近隣の小学生が遊んでいるのだ。女の子の声もする。かれらがかって卵から孵り、これからも孵るとわたしは感じている。
この詩は私のなかで忘れることのできない詩の一つとなるでしょう。
なぜなら、最近、私が読んでいる詩は技術的には大変優れた詩が多いけれども、率直な詩人の考え、メッセージが感じられないからです。私はこの詩のなかにあるメッセージを感じました。
しかも、それは未来に向けられているようであり、それは微かでありますが、
しかし、迷いのない感じで私に届いてくるからです。
すべては「卵を埋める」という行為にかかわっていると思います。私にはこの行為が非常に創造的な、そして冒険的な、しかもそこには一筋の意志がくっきりと感じられます。
卵は雪のなかに埋められても必ず新しい命として甦るだろうと思います。
ところで、雪とは現代のことかも知れない。
それでは諏訪神社とはなんなのか?
私は日本の風土(自然と人間の歴史)全体のような気がしますが、正確には
わかりません。
はじめに未来に対するひそかなメッセージといったのはこの諏訪神社にも深くかかわっています。
私の諏訪神社はなんなのか、とても気になります。
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