「SHADOWS」1 岡野絵里子 影の始まり

SHADOWS1   岡野絵里子
 
 駅ごとに明滅する白い光 呼ぶ声がこだまし 人工の昼と夜がめまぐるしく交代する地下 無限に連なる時間の目盛りを列車は声高に数えて止まない 「銀鼠(ぎんねず)」 「夢解(ゆめとき)」 「虚泣林(そらなきばやし)」 白金製の表示板が見えれば もう国境を越えたのだ 私たちは過ぎ去ったものたちの闇の中に入って行く
 「あの‥この線路はどこ行きでしたか?」振り向いたビジネススーツの男も 
夜をまとって透けるようだった 「どこ? 有楽町線じゃありませんか どこまでも行きますよ 私は永田町で下りますが」 だが彼が下り立ったホームには「虚泣林」 と読める表示が掲げられているのだ 見回すと 車内は昏く茫茫と 乗客たちの輪郭もほどけ始めているのだった
 車両の一番遠い端 シルバーシートに小さい姿が腰かけていた 近寄るとそれは内側から灯るように光っている漆黒の影の子どもで 幼い手を目もとにあて 泣いている 宿主を持たない影が 人のようにふるまうことに驚きながら 私は子どもの顔を覗き込んだ なつかしい顔 誰が知らなくても 私だけは忘れない 最も親しい痛み その瞬間 ああ私は死んだのだと悟った
 
 SHADOWS は千百年代に書かれた書物『興南寺聞書』「江談打聞書」
に誘発されて書かれた長篇詩です。
 それで、今回ここで取り上げるのはその一部です。
 しかし、独立した詩として読んでも面白いと思います。
 歴史や時代の動きを影の方から、影のサイドから描くのはよくあることです。
 しかし、この作品は必ずしもそうでないような気がします。では、どうなのかというと、どこまでが影か、どこまでが実在かはっきりしないからです。
 まず、そのことは第一連目で明確にされます。つまり、「銀鼠」 「夢解」 「虚
泣林」は私たちが殆ど触れたことのないような古層の言葉であり、ある種の虚構であると思います。この虚構を入口として、この詩の世界が始まっているからです。
 影と実在の世界がはっきりしないと書きましたが、ほんとうは現代の毎日の世界こそが、そうなのかも知れません。
 毎日のように子どもが子どもを傷つけ、親が子どもを殺し、介護に疲れた子どもが親を殺している。
 こうしたことは実在の世界なのか、影の世界なのか、私にはわからないのです。実在の世界とするならば、そうした出来事の存在する理由が全くわからないのです。だから影としか感じられないのです。
 この詩を読んでこうしたことがよくわかります。
 歴史や人生に光や影があるとよくいわれることですが、それが決して喩え話
ではないということがよくわかります。
 それにしても、最後の連は、ある深い恐怖をもって読みました。

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