春の岬 斉藤恵子
岬の上から海を見る
淡いグレイにかすみ
ひくい島が
いくつも浮かんでいる
さっき
白壁の酒蔵の奥にある
江戸の時代の
はだか雛を見た
巻き貝のくちに
しろいはだかの男と女が
ならんで座り
さびしく
わらっていた
岬の果ての逢瀬なのか
身よりのない者どうし
紙細工の
うすい手をにぎり
女は好きでもないのに
ゆるしたにちがいない
外に出ると
潮の匂いのする風が流れていた
何百年たっても同じつめたさだ
耳たぶのピアスがひやりとする
つめたさに
ふるえるのではない
生きていることの
恐ろしさにふるえるのだ
丘の上の園芸館から
老いた女の爪弾く大正琴が
アンプで増幅され
岬のはしにも響く
カモメが争いながら
光る魚をくわえ
海はふるえるように
さざ波をたたせている
海のように
生きれば
なにも怖くはないだろうか
突然わたしは
わけもなく
泣きたくなった
ばくれん女のように
こぶしで泪をぬぐい
詩のなかに時々、映画のワンシーンを思わせるような詩があります。そうした
なかでもこの作品は特にそういう感じが強い詩です。
情景あるいはイメージだけではなく、登場人物の気持ち、心理が大変鮮やかに伝わってきます。
それはまるで名作映画を観ているようです。
岬の上から海を見ている第一連目、二連目はそこから時が逆戻りして、江戸時代のはだか雛との出会い、そして三、四、五連目はそのはだか雛に対する登場人物の思いが大変くっきりと描かれています。
それから、六、七連目はこの詩のひとつの頂点ではないかと思いますが、大変平明なことばでそれが表現されているのが、私にとってはひとつの驚きでさえあります。
この平明さであるということはこの詩人の特質であると思います。
平明でわかりやすい、しかし、この詩は私をとんでもないところに連れて行ってしまうのです。
それが最後の
海のように
生きれば
なにも怖くないのだろうか
突然わたしは
わけもわく
泣きたくなった
ばくれん女のように
こぶしで泪をぬぐい
これが本当の頂点であると思います。
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