G線上のアリア 鈴木ユリイカ
——ロストロポーヴィッチの若き日の演奏をCDで聴く
黒い写真には洋梨のような顔をしたひとりの若いチェリストが
いまにも 死にそうな顔をして立っている 彼のいのちは
蝋燭の炎のようにふいにかき消えてしまいそうだったけれども
音楽家の手は神のそれのように美しくしっかりと楽器を支えている
チェロが鳴り出すと たちまち わたしの心臓はふくれあがり
血液は全身を駆けめぐった その時 わたしの中から
透きとおった五歳の女の子が脱け出し記憶の中で立ち止まった
その時 女の子の母親が「あれが東京よ」と言った
その時 引揚列車が停まり 硝子窓から何かが見えた
東京はなかった ぐにゃりと飴みたいに曲がった電柱と
恐ろしくいためつけられた大地と そのうえに降る
白いちらちらするものが見えた 子どもはまだ知らなかった
白い雪というもののしたで都市の数知れぬ建物が燃えさかり
人間が焼芋と同じに真っ黒焦げになることを知らなかった
恐らく数分間、数十分間の汽車の停止なのに女の子は憶えていた
汽車はゆっくりと走り去りもはや誰もそのことを語らなかった
知らなかった 夢の駅で汽車は幾度も停止し
あれがヒロシマよ と誰かが言った 知らなかった
はだかの人間の皮膚がだらりと垂れ下がったまま赤ん坊に乳を含ませるひとを
雪の中に黒い線路は続き吹雪は舞いG線上のアリアは続いていた
知らなかった ポーランドの田舎町では終日
人間を焼く匂いがし 知らなかった 中国の都市では
兵隊がにたにた笑いながら人間の首を切り落としていた
知らなかった ロシアの田舎町では戦車がガラガラと動き
壁から血が噴き出していた 知らなかった 知らなかった
知らなかったと言い いつまでも夢の駅でなきじゃくる五歳の
子どものまま歳とっていく わたしを知らなかった
吹雪の中で音楽は続いていた 恐怖の時代に個人が生き
耐えるとは何かを考えながら 音楽家はチェロを弾いていた
死んでいったひとひとりひとりを訪ねるかのように
死者たちに何かを話しかけていた 優しく 悲痛に
遠い流刑地にいる友に届くように 心をこめて弾いていた
それでも彼はまだ若く 時に死にそうになりながら
彼自身が死なないためにも弾いていた その時
わたしと 五歳のわたしは見つめ合いふたりで耳をすました
女の子はすでに知っていた
にんげん というものを
大地の心臓が破裂するまで近づいては遠ざかり
遠ざかっては近づき すべてをさらう戦争を (1995、3)
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