「人がいる」岡島弘子 人がいるという秘密

人がいる   岡島弘子
ほんのひと突きで崩れてしまいそうな
「岡島」の筆跡
自筆署名するたびに おもわくから外れて
右側へ傾いてしまう
なだれ落ちてしまいそうな
一画一画を 息でおさえて
空中分解寸前の 字画の肩を
目で押しもどしてみる
数学の前田先生は
黒板いっぱいに
「因数分解」と書いた
チョークの跡もかぼそくて
ひと吹きで 飛び散ってしまいそうな
右肩下がりの あやうい文字
結核を病んで
この世の黒板を早々と拭き去って 逝かれた
台所の流し台のすみから
ゴキブリが出たと家人がさわいでいる
一匹のために「台」の字がぐらついて
家庭崩壊する
はずみで ころがりそうな「部屋」「命」「生活」の文字を
四次元の裏側で
けんめいに ささえている 人がいる
 
 
 「文字は人を表す」この詩を何度かよんでいるうちに、このことばが頭に浮かんで
きました。この詩がこのことばとどんなふうに関わっているのか(本当はまったく関係がないのかもしれませんが)はっきりとはわかりませんが、私はいま、人と文字やことばとの秘密、そして「人がいる」という秘密の前に立たされて、呆然としている感じです。                                   それは、いままであたりまえのこと、分かり切っていることと思ってことが、突然不確かな秘密に変わってしまったような不安な感じです。                                           この不安な感じにあるリアリティがあるのは、この詩の一連目「・・・・・なだれ落ちてしまいそうな 一画一画を 息でおさえて 空中分解寸前の 字画の肩を 目で押しもどしてみる」にあるような気がします。
 ここでは文字と人が逆転してしまい、「空中分解寸前」なのは、「岡島」と自筆署名する詩人自身かもしれないし、さらにもしかしたら「一画一画を 息でおさえて 」「字画の肩を 目で押しもどしてみる」と息をこらすように読んでいる私自身かもしれません。
 
 それにしても、この詩に登場する文字たちは危険にさらされてなんとあやうい感じがするのでしょう。数学の前田先生が(おそらく遠い記憶の中で)書いた「因数分解」、
 
  一匹のゴキブリの出現でぐらつく「台」、ちょっとしたはずみで転倒しそうな「部屋」「命」「生活」。
こうしたあやうさをとおしてしか、わたしたちは、文字をそしてことばを持つことができないのかもしれません。
  「文字は人を表す」現代のわたしたちにはそういいきることがとても難しくなってきたようです。それがどういうことなのか、この詩は問いかけているような気がします。
  

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