新生都市 鈴木志郎康 おぎゃーの詩
空には雲がなかった
雷鳴もなかった
風はひたすらペンペン草をゆらした
わたくしはその時を知っている
暗い穴から最初の血まみれの白い家が現れた
女の穴から血まみれの家は次々に現れた
渇いて行く屋根の数は幸福て゜あった
それは今女が生み落としたばかりの都市であった
人間のいない白い道路
人間の影のない白い階段
純白の窓にはもう血痕はなく
壁は余りにも自由であった
コロナに輝く太陽の下で
腐って既に渇いて行く母親の死体の上に
白色に光る直線はおどろくばかりの速さで生長した
人間はなく
風はなく
既に空さえもなかった
鈴木志郎康さんの「腰曲新聞」や「HAIZARACHO NIKKI」を時々退屈したときに読むことがあります。すると、なによりもすきなのは、夕食や昼食のためにスーパーから買ってくるときの材料のはなしのときです。何が何でもうまいものをつくるときには、何が何でもこれだけのものが必要である。という具合に
並べられる材料でとくにカレーの材料は生唾が出るほど迫力がある。わたしたちはどちらかというと料理
はさぼりたい気があって、できるだけ簡略にしたいと思っている。でも志郎康さんの日記を読んでから買い物に行くと気をいれて買い物をするので、お腹もすいてくる。なにしろ、詩人ではコンピュータ
の元祖のようなひとなので、それだけでも、尊敬してしまう。
この詩を読むとアメリカのチャーリー・シミックの詩をおもいだしてしまう。1963年の詩であり、日本にも
こんなにいい詩があったかと感激してしまう。もしかしたら、この詩人はハムレットみたいにマザーコンかも知れない。私はファザーコンかもしれないけれど。この詩を読むと寺山修司の「時には母のない子のように」を思い出し、オリンピックやケネディ暗殺の時代を思い出し、「都市の論理」を書いた羽仁五郎のことを思い出し、「母原論」がはやったことを思い出す。そして、なによりも、おぎゃーを思い出す。
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