あれよあれよと 「クアラ・ルンプール午前5時45分」山本博道

クアラ・ルンプール午前5時45分   山本博道  あれよあれよと
わたしはマンダリン・オリエンタル・ホテルの
隣のツインタワー・ビルが窓一杯に見える
二十二階の十九号室に泊まっていた
どんな景色かと窓から外を見ると
旅はまだ始まったばかりだというのに
わたしのホテルの十七階あたりまでが
高波ですでに浸水していた
何という不運で壮絶な光景だったろう
わたしは水浸しのこの下の階が
いったいどうなっているのか不安だった
街はあふれる泥水で色を失くしている
わたしが茫然と立ちすくんでいると
つぎの瞬間水は引いていて
道は泥沼か干潟のようになっていた
そこに茶褐色の虫やネズミが這い回っている
高波はふたたびやって来そうな感じだった
暫くすると泥の中から男の死体が浮いて来た
わたしはそうして行方不明の男たちが
世界にはかぎりなくいるのだろうと思った
道の右側の泥からは別の男が立ち上がって来る
死んでいるのだから息苦しくはないだろうが
目を閉じたまま男はずぶずぶと歩いて行く
いや死んでいるのだから
押し流されているだけだろう
そしてふたたび泥の中へ前のめりで沈んで行った
まるで映画か夢でも見ているような感じだ
わたしは急いで窓から離れて枕元の時計を見た
午前五時四十五分だった
クアラ・ルンプールの夜明けは霧に包まれていた
目の前には巨大なヒンズー教寺院を思わせる
ペトロナス・ツインタワー・ビルが聳えている
茶渇色の虫や死者たちの気配は消え
何事もなかったように街は眠っていた
それから五分もしただろうか
わたしははじめ隣室からかと思ったのだが
その声は拡声器を通して街の方から聞こえてきた
いや声というよりは歌に近かった
どこまでが夢でどこまでが現実だったろう
わたしには初めて聞くものだったが
コーランだと思った
辺りはしんと静まり返ったままだ
旅に出たときにだけ吸う煙草に火をつけた
泥の中で死んでいた男たちは
わたしに何が言いたかったのだろう
たとえば自由とか開放とか
たとえば悲しみとか
わたしはそのまま起きてバスローブを脱ぎ
シャワーを浴びて髭を剃った
そうして鏡の中から朝が来るたびに
わたしは死に向かっているじぶんを感じた
冷蔵庫から瓶の水を一本取り出し
窓のそばにもどってまた外を見る
旅はまだ始まったばかりだというのに
立ち籠めた霧のほかには何も見えない
『パゴダツリーに降る雨』書肆山田
 
 
 あれよあれよといううちに、この驚くべき詩を読んだ。夫がクラークスのバックスキンの靴を受け取った。
オークションで競り落とした白い楽しそうな靴だった。それからスパゲッティ・ミートソースを食べ、新しい
靴をはいて散歩に行こうかとしていると、国勢調査のひとがきた。なにもなく生きているということとこの詩
がスパークし何が何でも、この詩をブログに写したい気がした。時々詩は退屈だと思うときがある。しかし、詩は非常に多くのひとが書いていてその一つ一つが素晴らしいと思う。時々人は濃密に詩人であり、そして、普通のひとでもあるわけだ。こんな詩できたてのほやほや。この彼が地上で見た物のうちでももう二度と見られない希有な時だと思う。この詩人が若いときから、わたしはファンだったが、いま一瞬さえわたっていると思う。洪水のあとの不気味な静けさと歌うコーランがいい。

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