Trails-踏みあと 江口 節
鹿の鳴く声を聞いた
山の稜線が うっすらと浮かぶ頃
フィーヨウ フィーヨウ フィーヨウ
と、わたしは聞き
あなたは カァーンだと言う
初めて聞いたけだものの声を
鹿、だと
知っていたわけではなかったが
確信のように
やってきた最初の一声は
高く延びて ひきしぼっていく
それは わたしの
時間の弓ではない
皮膚や髪の毛、背骨、はらわたにまで
きざみこまれたできごとの
記憶の弓
ではなかったか
おびただしく生きて、おびただしく果てたものたちの
Trailsをひきしぼり
まだ明けやらぬ山襞に
何本も何本も放たれていく
存在の矢、鹿の声は
近づいたり 離れたり
かならず 三回ずつ鳴いて
夜がすっかり明ける頃 ぷっつりと途絶えた
わたしは
ありありと知っていたのだ
わたしの気づく前から知っていることを
もう一度知る、
鹿の鳴き声を聞く、ということを
この詩の心地よさは音楽を聴くときの心地よさに似ています。つまり、感覚や心が一定の律動を得て
自然にひろがっていくということです。そして、そのなかで、いくつかの変調があり、出発点からいつのまにか違った世界へと読む人を誘います。はじめ、山で鹿の声を聴いた、最後には<わたし>の内側で鳴鹿の声を聴いた、そして未來においても<わたし>のなかで鳴くのを聴くであろう。
記憶というのは時間のように一直線にたどれません。つまり記憶は森羅万象が影響しあいながら生きていく最も基本的な力かも知れません。鹿の声ということについていえば、
奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の声聞くときぞ秋は悲しき
を思い出すのは私だけではないでしょう。
意識的であるにしろ、無意識的であるにしろ、この作品の背後には、この平安時代の和歌があると思われます。そう考えると、そもそも鹿の記憶はどこからこの作者に訪れたのでしょうか、と思います。
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