「名」  渡辺みえこ    記憶と伝統

    名           渡辺みえこ
夏の終わり
照りつける西陽を背に
野良から上がった母は
首に巻いた手ぬぐいで
汗を拭いながら
決まって
ちゃぶ台の前の私の背に被さって
私の腕に母の腕を巻き付けた
母と私の手に沿って
魔法のように筆が動き
皺だらけの新聞紙に
美しい黒い線が描かれていった
母の心臓の音が
私の背中に伝わった
それは私に
文字というものの
激しい鼓動を伝える音だった
はつひので
にほん
さくら
ちち
はは
雪に降り込められた
年の暮れ
四十の母は
籠の手を休め
土間から上がってきた
母は私の頭の上に被さり
埃だらけの手で
私の名を書いて見せた
その手は細かく震えていた
それは慣れない
力仕事のためだったか
筆名に慣れた私は
本名をほとんど書かなくなったが
その名の文字は
書くたびに
私を震わせる
私の手は
私の名指すその文字に
いつまでも
慣れることができない
 
 まず一節目は、とても懐かしい日本の光景が簡素に描かれています。あたかも奥村土牛のデッサンを
みているようです。しかし、この懐かしい光景は一節目の終わりで一気に、<私>の内部に収斂されていきます。これは、この詩の面白いところであり、不思議なところです。
 二節目は、記憶のもつ不思議さをまざまざと感じさせてくれます。
 <母の心臓の音が 私の背中に伝わった それは私に 文字というものの 激しい鼓動を伝える音だった>恐らく、作者はその鼓動をいまも鮮やかに感じているのでしょう。そして、この詩をよむ私もその鼓動
に共振させられてしまうのです。
 記憶の本体は過去にあるのだろうか? それとも今にあるのだろうか? いずれにしても、記憶には、
とても不思議なエネルギーがあるような気がします。この詩がそのことを証しているといえます。
 さらに、最後の節では、記憶は未來におよんでいるとさえ感じられます。さてはじめの懐かしい日本の
光景はどこへいったのでしょう? 今も未來もこの鼓動のまわりを漂っているのでしょう。

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