働くこと

 こんなことを書くとどうせ三日坊主なのだから、あとから自分で恥ずかしくなるかもしれないけれど、この年になって働くことが少し好きになった。いままで一度たりと労働というものが好きになったことがなかったのだ。大変気まぐれであるし、あまりに無責任に書くことは欺瞞であると思うのだが。もし、長生きできたら、たくさんたくさん働きたいと思う。それはもしかしたら、幸せなことかもしれないと思い始めた。
 もう5年ほど前に、クミコの娘達がやつてきて、一冊の分厚い雑誌をおいていった。その雑誌の名前は
「purple」というらしかった。その本は何百頁もが殆ど写真でできていて、5パーセントぐらいは文字でできていた。文字といつても、フランス語か英語で書かれていて、殆ど私にはわからなかった。その本を初めて眺めたとき、何も感じなかった。けれども、退屈なときにときどきぱらぱらとひらいてみると、なんだか
すこし面白くなつた。どうしてかわからないし、何しろその本が何の本なのかわからなかったのでした。いくら外国の雑誌だとしても何の雑誌かぐらいはわかるものではないかしら?雑誌といっても紙が立派なので本のようであった。その不思議な雑誌は最初はヘルムート・ラングとかコム・デ・ギャルソンとか
ドリス・ヴァン・ノッテンとかのファション雑誌のようでもあり、次の若い写真家たちの作品集のようでもあり、最後にはグラフィック・デザイン集でもあった。そして、ぱらぱらとめくってみると見れば見るほど、だんだん興味深く思えてきた、並べ方も、レイアウトもデザインも編集も実に周到にできていた。こんな雑誌
があったのかとまるで関心してしまつたわけである。しかし、なんといったらいいのか、初めからそう思ったわけでは断じてない。
デザインとか、写真とか、ファッションとかはなんの腹のたしにもならない。そのうえ、芸術とかアートとかというそんな高尚なものでもない、なんの変哲もないスーパーマーケットからふたりの女がでてこようとしている。白い毛糸のようなものをごたごたの身につけている。ところがこのふたりの女は有名なモデルらしい。ルーブルのすぐ前の公園のようなところをごたごたと荷物をもちながら、よこぎつているかと思えば
もうニューヨークについて、ちょーどあの貿易センタービルの二本のビルが見える対岸で、みんなが寒いのに散歩している。その次はサツカーか何かを観戦している。日本人の女も三人ぐらいいる。こうしてふたりの女のモデルはなにげなく冬のモードを世界中人々に披露しているのである。
こんな本、わたしは見たことがなかった。だんだんにわたしはその本がすきになった。その分厚い本を
エレンとオリヴィエがつくったのである。なんといい本なのだろうと私は眺めた。それから、エレンとオリヴィエはわかれてしまった。そこで本はふたつに別れ、「PURPLE」をオリヴィエが、「LE PURPLE JOURNAL」をエレンが創り始めた。オリヴィエはクミコの娘と一諸にくらしはじめ、娘アジアが生まれ、そして、ふたりはもう別れてしまった。アジアはまだ1歳にはなっていない。アジアはブラームスがお好きらしい。ところで、オリヴィエはとてもよく働くと聞いた。彼が働きあんなにいい本をつくったのだから、
わたしも働き、いい雑誌を創ろうとおもった。青い石さんがいってるようにねわたしも幸せになりたいと思う。明るい美しいモーツアルトのディヴィルトメントのような詩の雑誌ができるかな?その雑誌の名前を
something2といいます。オリヴィエ ザハームに敬意をこめて。よく働こうかな。

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