冷凍魚 水野るり子

    冷凍魚
魚は一匹ずつで悲しんでいる
早春の塩の浜辺にひきあげられ
塔のように倒される海の魚
しなやかなその喉のところまで
行き場のない海があふれてきて
やがてそのまま凍りついていく長い時間
かつて魚を許してくれた
あの水の限りないやさしさが
いまは不思議な残酷さとなって
魚の全身を
容赦なくしめつけてくる
そうして
魚はあえぎながら
少しずつ
内側から啞になっていく
 

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象その他   水野るり子

ずいぶん長い間お休みしていました。その間いろいろなことが起こり、落ち着きなく過ごしてきました。いま自分のために、以前書いた私の内の原イメージみたいな作品をいくつか写してみたくなりました。それは今というこの時代の曲がり角を感じ、でも何もできない自分の気持ちを反すうするために…かもしれません。
           
一日中
雪は降りやまず
時計は故障していた
世界は沈黙し
人類がたどりつく以前の
ひとつの星のままだった
見えない空の底では
かすかに鐘の音が鳴り響いていて
    
      ※
その夜
雪明かりの窓からわたしは見た
巨人がひとり
暗い坂道を下りていくのを
風が中空に
その髪を吹きあげ
肩にのせた深い壺のなかへ
なおも雪は降りつづけていた
                  詩集『クジラの耳かき』より
         象
その象は三本足である
たるんだしわの重みを引き上げ
ゴミ捨て場の夕闇のなかにかくれている
腐敗することのない不消化物の山が
焦げ臭いにおいを立て
重い廃油となって空を侵している
ブルドーザーもひびかず
火も種子ももえないこの場所にむかって
どこからか象は裏切られてきたのだ
あまりに場違いなこの成り行きは
象を途方に暮れさせる
夜のゴミ捨て場をきしらせて餌をあさり
ドラム缶の足音を
町の眠りの裏側にとどろかせる
うっかり追い抜いて来てしまった
自分のもう一本の足に毒づいてもみる
草食性の身の上をかくし 人目をさけて
町の上空を飛ぶ 排泄物に汚れた鳥を
鼻高々としめ上げてもみる
だが奇形の象のかなしさは
日ごとに錆びついていく町の空に
錨のように重くひっかかったきりだ
スクラップ広場に漂着する
町という町の悪夢は
ついに回収されることができない
その黄色いガスの底をさまよう
一匹の象の姿を見たものはいないか
もう人間の領分ではない
荒涼としたあの象の場所を見たものはいないか
                         詩集『動物図鑑』より
            

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耳のなかの兎

明けましておめでとうございます。
今年は卯年、一年休んでいた「二兎」もそろそろ追いかけようかと思っています。
           耳のなかの兎                                          
                                  水野るり子
   月夜に耳をかたむけていると
   兎が二匹やってきた
   (おや アリスはゆうべも月を修繕してないな
   (もう満月なのに
   (波長がずれている
   (メロンの10%ほどの音色で
   (カモメたちの高さで
   (空気の粒子が荒れている
   (ゆれるベッドの上で
   (子どもたちが夢の投網をたぐっている
   (あれは幼い蛾の一種かな
   (でも今夜は藻がふえすぎていて
   (大気のなかいっぱいに からまって
   (投網もほつれかけている
   (すきまから魚たちが ほら
   (サヨリもイカも 星みたいになって
   (だんだん空の中途へ消えていくね
   黄ばんだ羊皮紙をめくるように
   兎たちの会話はとぎれ
   一匹が
   ポケットから取り出した時計を
    ―それは少女の頃の私のものだ―
   ためつすがめつ眺めている
   (ああ 今は何時かな 小さな雲がかかって見えない
   (また遅刻だね
   二匹の兎はそういいながら
   私の耳のなかへと
   月あかりの道を降りていった
 ””””””””””””””””””””””””””””””””
  これは詩集『ラプンツェルの馬』に載せたものです。
  月明かりの道へ追いかけていくものは、この世界から迷子になるかもしれません。     

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原利代子詩集 「ラッキーガール」より

        カステラ                                            
                           原利代子
ポルトガルへ一緒に行ってくれないかってその人は言った
なぜポルトガルなのって聞いたら
カステラのふる里だからって言うの
お酒のみのくせにカステラなんてと言うと
君だってカステラが好きなんだろって
でもあたしはお酒ばかり飲んでる人とは
どこへも行かないわって言ったら
「そうか」って笑ってた
あたしはカステラが大好きだから
今度生まれ変わったら丸山の遊女になるの
出島でカピタンに愛されてエキゾチックな夜を過ごすわ
ギヤマンの盃に赤いお酒を注いで飲むの
ナイフとフォークでお肉も食べるわ
大好きなカステラもどっさりね
そして食後にはコッヒーを飲むの
「それもいいね」ってその人は笑っていた
いつもそう言うのよ
元気なうちに一緒に行ってあげればよかったのかしら ポルトガル?
病院で上を向いたまま寝ているその人を見てそう思ったの
きれいな白髪が光っていて
あたしは思わず手を差し伸べ 撫でてあげた
気持ちよさそうに目を瞑ったままその人は言った
「いつかポルトガルに行ったら ロカ岬の石を拾ってきておくれ」
やっぱりそこに行きたかったんだ
ーここに地尽き 海始まるー
と カモンエスのうたったロカ岬に立ちたかったんだ
カステラなんて言って あたしの気を引いたりしてー
それより早く元気になって一緒に行きましょうって言ったら
「それがいいね」
って またいつものように笑った
あなたの骨が山のお墓に入るとき
約束どおり お骨の一番上にロカ岬の白い石を置いてあげた
あなたの白髪のように光っていたわ
ポルトガルへ一緒に行ってくれないかって
声が聞こえたような気がして
今度はあたしが
「それはすてきね」って
あなたのように ほんのり笑いながら言ったのよ
””””””””””””””””””””””””””””””””””””
 原利代子さんの『ラッキーガール』は最近の詩集のなかでもとりわけユニークですてきな詩集だった。読み返すたびに、それぞれの詩から、異なるさまざまの活力をもらえる。作品ではあるけれど、どの連にも、どの行にも、詩人のなまの声が、リズミカルな呼吸で、展開されていて、詩集を開くことは、その人との対での会話みたいな気がする。
 好きな詩がいろいろあるが「カステラ」は、このような追悼詩が書けたらいいなあと思う作品だ。人とのかかわりの底にある深さや痛みが、野暮でなく、斜めに、しみじみと描かれていて、その表現の切り取り方に感心するばかりだ。
 たとえ追悼の場ではなくても、このような表現のできる人は、人生のあらゆるシーンにおいて、他者と自らの距離のバランスに敏感で、人も傷つけたくないが、自分に対してもかっこよく生きざるを得ないかもしれないとふと思う。

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うさぎ(うさぎ・兎・ウサギⅥ)

            うさぎ             
                        絹川早苗
   
    うさぎが 長い耳をたれて
    夕焼けを聴いています
    耳のおくの もみじばやしが
    赤や 黄や あめ色に染まりはじめ
    いちまい にまいと 葉を落としていきます
    ひとり住まいの 銀髪の女のひとが
    おんがくを聴きながら
    アルバムをひらいています
    古い写真は すでに色あせ
    うす茶色の蛾となって 飛びたっていきます
    
    やがて
    ひざの上に さらさら 粉雪がふりしきり
    こんもり 温かく つもっていきます
    うさぎは もう
    ねむってしまったでしょうか 
””””””””””””””””””””””””””””””””””
絹川早苗さんのちょっと異色の詩です。「うさぎ」と、「銀髪の女の人」のイメージが
二重に重なって、おもしろい効果が出ています。うさぎの耳の奥では夕焼けの中にうつくしい紅葉がはじまり、女の人の耳の奥にはなつかしいが、色あせたアルバムがひらかれていて、しかも写真は一枚ずつ「蛾」となって時の中へ飛びたっていく…。
でも粉雪はあたたかく膝につもりはじめ、うさぎは季節に身をゆだねて、安らかに夢のなかへ入っていく…。どこか、許されて、人生と折り合いをつけた安らぎの境地が見え隠れして、詩人のいまの心情が想われました。    
      
 
    

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『ユニコーンの夜に』

二年越しであたためていた詩集『ユニコーンの夜に』が11月30日の日付で上梓さ
れ、昨日12月3日に手元に届きました。土曜美術出版販売の高木祐子さんには、
色校正その他で細やかなお手数をおかけしました。おかげさまでほとんど予定通り
の日程で出来上りほっとしました。表紙画の田代幸正さんのユニコーンに乗った
少年がこれからどこへ向かうのか、今は見送るばかりです。

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初雪の日に(うさぎ・兎・ウサギⅤ)

         初雪の日に
                      佐藤真里子

         北緯42度の
         空は
         冬に始まり
         冬に終わる
         めぐる四季の
         輪の結び目に
         いま
         新しい
         雪が降る
         枯れた野原に
         裸の樹々の枝先に
  
         頬に
         手のひらに
         
         待ちわびていた
         雪が降る
         染まった色を脱ぎ
         白うさぎになって
         雪の野原を
         飛びまわるわたしが
         残す足跡さえも
         すぐに消し去る
         雪に包まれて
         空の遠くから
         呼んでいる
         かすかな声に
         長い耳を澄ます        
 ””””””””””””””””””””””””””””””
 青森にすむ佐藤真里子さんの「初雪の日に」は季節の自然の匂いが満ちている。
2連目の”めぐる四季の/輪の結び目に/いま/新しい/雪が降る”や、最後の連の”空の遠くから/呼んでいる/かすかな声に/長い耳を澄ます”という表現に独自の魅力を感じてしまう。風土のもたらす独自な感性や想像力があるとすれば詩人の表現がそのなかでどのように影響を受け、育っていくのか…と思う。
 以前、三月か四月頃にジャワを訪れて、熱帯の花々に囲まれた日々を送った後、日本の我が家にもどってきて、まだ肌寒い庭で、やっと芽吹き始めた新緑に触れたときの胸のときめきが忘れられない。四季があるということへの感動。それは表現しがたい新鮮なものだった。いまは都会に住んで、自然に鈍感になって行く一方の自分がいる。        
                

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夏の夜におとうとが  伊藤啓子

伊藤啓子さんから送られてきた詩集『夜の甘み』(港の人)からです。
       夏の夜におとうとが    
                           伊藤啓子
    薄暗い古道具屋
    光の中 埃がちいさく舞っていた
 
    わたしはくるりと振り向き
    奥に座っているひとに言った
    こんどは おとうとをつれてきていいですか?
    奥のひとが
    なんと答えたのか知らない
    そこで目ざめてしまったから
    
    着ていた白いセーラーの夏服は
    モノクロにかすんでいた
    けれど 夢の中の感情だけは色をおびて
    くっきり浮かびあがる
    そこは秘密めいた
    後ろめたい場所らしかった
    せめて おとうとと一緒なら
    すこしは罪が軽くなると
    夢の中のわたしは
    ずるくおもっていた
    夢の反すうは浅い眠りを狂わせる
    寝返りをうちながら
    せつなく おもうのは
    奥にいたひとではなく
    夢でも顔を見せぬ おとうと
    あの店の奥に ゆるゆる
    入りかける不良少女のあねの腕を
    心細げに くいと引っ張る
    細くあおじろい首をした おとうと
    
    死んだ母に
    一度 問うてみるべきだった
    寝苦しい夏の夜
    わたしにぴたりと寄り添ってくれる
    おとうとを はらんだことはなかったかと
    ””””””””””””””””””””””””””””””””””
目ざめてみると、夢の中では、はっきり認識していた誰かのことが、はたして現実の誰だったのかどうしても思い出せなくて、一日も二日も、それ以上も、昼の時間のなかに歯がゆく立ち止まっていることがある。自分の心の中に影を落としている何かが、
だれかの形を借りて夢の中に登場するのだろうか。夢の中でさえ、心の中の影は仮面をかぶっているらしい。そうではなくて、私の中のまだ形にならない何かが、言葉となって表現されるのをもどかしく待っている姿なのかもしれない。
細くあおじろい首をした おとうととは、いったい誰なのだろう。私はよく夢の中で
部屋の隅や戸棚の奥に、長い間置き忘れられた鳥かごや、金魚鉢などを見出すことがある。そのなかには、忘れられた一羽の小鳥、むかし飼っていた小魚たちが細々と生きつないでいて、私の心を凍りつかせるのだが。
 
      

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うさぎ (うさぎ・兎・ウサギⅣ)

    うさぎ                       
                         高橋紀子 
  遠い昔に うさぎは逃げた
  月は
  虚空に登りつめて
  野を走り抜けるものを
  もしや と照らしつづける
    我を忘れ
    野を駆けつづける
    地を蹴って
    出来るだけ遠くへと
   
    走っても
    走っても
   
    追いすがる
    月の光に射抜かれて
    
    うさぎの目は
    赤く潤む
”””””””””””””””””””””””””””””””””””””
高橋紀子さんの詩集『埋火』から転載させていただいた。
月の野原を一心に駆けていく一匹のうさぎ。うさぎはどんな罪を負っているのか。
月の光にさえ追われるものの足音…その足音が聞き取れる耳をもっているだろうか?
わたしは…。   
                          

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石 (うさぎ・兎・ウサギⅢ)

            
                     水野るり子
    野のうさぎ
 
    どこへいく
    星夜の
    火のうさぎ
    ねむれない夜の
 
    隕石のうさぎ
   
    ひとりずつ耳を立てて
    跳べ 跳べ
    燃える空へ
    帰れ
””””””””””””””””””
ヒポカンパス4号の「日々のコップ」に入れた作です。
夢の中でだったか、熱い隕石の兎に触れた記憶が…。
火傷って治らないものかも。
  

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