サテュロス像

愛知万博まで、憧れのサテュロス像を見に行く。シチリア沖から二千年ぶりに
引き上げられたというあのサテュロスだ。上野以来の再会だ。
イタリア館の大きなガラス球?の中心に据えられて、照明も凝らされ、はるばる
追っかけをやった甲斐があった。もう二度と見る事は出来ないだろうと、相棒の
絹川早苗さんとイタリア館に二回も出入りして、ガラス球の内部であきずに見上げる。
それでも決して満足はしないけれど。
サテュロスはイタリア館の目玉なので、ショップはサテュロスグッズのオンパレードだ。
仕方ないか…と思いながらもちょっとこれには食傷気味。
ランチは2階のカフェで赤ワインとトマトとモツァレラのサンドイッチ、それに絹川さん
の朝茹でのコーンをこっそり。ここはとても心地よいスペースだった。
その後はスペイン館(歌と踊り!)とトルコ館(瞑想的)を見ただけで引き上げる。
それだけでも滞留5時間。たどり着くまでが4時間。結構くたびれる。
翌日、名古屋のボストン美術館をゆっくり見られたのは収穫だった。
帰ってから、サテュロスの陶酔的生命感をモーツアルトのディヴェルティメントで、
まぶたの裏に再現している。

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ヒポカンパス

渋谷で詩誌「ヒポカンパス」の仲間(岡島弘子、相沢正一郎、井上直さんら)と2号に寄稿をいただいた
新井豊美さんの5人で集まって、長編詩についての座談会をやる。岡島さんの誘いに乗り、かなり
受身にこの詩誌に参加した私だが、他の仲間たちの真摯な取り組み方に刺激を受ける。
ああ、私はどうもまじめさが足りないよなあ…と反省。詩を書くのにも1篇ずつに計画性がない。
どこか自分の中にある他力?本願である。
それにしてもそれぞれの作品や実際の書き進め方をきいていみると、それぞれの個性が掛け値なしに
あらわれているようで、やっぱり私の行き当たりばったりの楽天性は、もはやリセットのしようがないの
かも…と半ばあきらめがちの今夜だ。
まあ、それはそれとして、湿気にすっぽり覆われたような真夏の暑さ。そのなかでベランダには空色
のセージの花、黄色いレースのウイキョウの花、アジサイの青と赤の鉢植えがそれぞれにすがすがし
い。それぞれの作品?がそのままで生き生きと…している。

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馬の博物館

先日馬頭琴のコンサートへいったせいか、その流れで昨日は根岸にある「馬の博物館」
を訪ねた。もう何回もいったところだが、今はエンペラーズカップ100年記念とかで、競馬
に関する資料が展示され、江戸時代の屏風絵なども出ていて珍しい。別室では世界の作家
たちによる馬の画がたくさん並んでいて、ロートレックの絵も2点あった。
隣室では馬頭琴を間近に見られて、あの悠然とした響きがこの馬の尻尾の毛から発していた
のだと確認し、また不思議な気になる。夏の草原に風に吹かれて立つ一頭の馬のイメージの
うつくしさ(!)は、生命そのものの象徴のようだ。
外に出てポニーセンターまで好きなサラブレッドのトウショウファルコに会いに行ったのだが、ちょうど
小屋の中に入っていてちらっと横顔を拝めただけだった。残念。
月とバイオリン、空飛ぶ魚、さかさまになった踊り子、そして大きな目の青い馬。それは私が
カレンダーから外したシャガールの画だけど、なぜかトイレの壁(シャガール、ごめんなさい!)
にいま貼ってあって、毎日みている。シャガールの馬は人間語が分かるに違いない。

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馬頭琴

近くのホールで、詩と音楽のシリーズという催しがあって、その第一回目を聴きにいった。
一回目はユーラシアの響き「モンゴル〜草原を渡る風」というテーマで、馬頭琴の演奏と歌と
詩の朗読をきくことができた。馬頭琴の調べは、まさに草原の風から生まれたような響きで、
緩急自在な美しいそのl響きをきいていると、自分が風に乗ってはるばると宙を浮遊している
気になった。都会のちまちまとした小さな扉や窓によって区切られた空間から生まれた音では
ないし、そんなところでは生き延びることもまれな音をきいたと思った。
演奏のチ・ボラグとチ・ブルグトとその仲間たちの、親愛感に溢れた舞台もすてきだった。
ふと作家町田純のネコのヤンのシリーズを思った。そのなかの「草原の祝祭」で、ネコのヤンが
幼い樅の木のてっぺんに銀の星を飾るシーンだ。
(まっ青な空の下、草原には心地よい風が吹いていて、ボクが一つ一つぶら下げていくと、ぶら
下げたばかりの星や球や鐘(ベル)がユラユラと揺れていった。
たちまち風は銀色になってまたどこかに走っていった。
するとまた別の風がゆっくり吹いてきて、今度は銀色の光を浴びて、ぐるぐるまわりを舞っていた。)
目路のはるかまで広がる草原のなかを風に吹かれながら歩いていきたい。どこかでネコのヤンと
カワカマスに会えそうな気がする。

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湿生花園

急に思い立って、朝7時頃家を出て箱根の湿生花園にいく。「ヒマラヤの青いケシ」
と「ニッコウキスゲの群落」がお目当てだったのだけど、雨上がりの緑のさわやかさ
と、どこまでも続く山野草の花たち、そして木の花もいろいろ。
今日ははじめての真夏を思わせる一日。でもそれほど暑さを感じなかったのは木陰
を吹く風のおかげかもしれない。なにより感心したのは植物につけられている名前の
みやびなこと。あらためて今頃日本語の美しさを花々から教わった感じさえする。イブ
キトラノオ、コマクサ、コウホネ、サンショウバラ、トキソウ、ヤマボウシ、レンリソウ、
ハマナス、ハクサンフウロ、ヤマオダマキ…その他いっぱい。
これからそのいわれを調べるのが楽しみ。

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梅雨入り

梅雨入り宣言が出て、ベランダのノカンゾウの花の上に雨が降りしきっている。
はがきの詩画集のシリーズが一段落したので、好きな本や言葉など、折々に
入れてみたいと思います。
(…私は詩を書いていたが、そうすることによって、私を超えて偉大な何ものか、少なくとも
私自身ではない何かに仕えていた。人は自分を追跡することで、「自己発見」をするのでは
なく、その反対に何かしらほかのものを追跡し,なんらかの規律あるいは日常の仕事(たとえ
それがベッドメーキングのような日課であってさえ)をとおして、自分が誰であり、誰になりた
いかを知るのだ。)メイ・サートン「海辺の家」(武田尚子訳)より
またこういうことも書いている。
(しかし私は、女であるばあいには、人間として充実した人生を送りつつ最高度のオリジナルな
仕事をすることは不可能に近いという、私自身のかたくなな見解につきあたるのである。)
と、どきっとするような言葉もある。メイ・サートンの本はどれも立ち戻ってまた読みたくなる。
ちなみにメイ・サートンはすぐれた庭造りの名手でもあった。彼女は生涯詩を書くのと同じように
手を抜かずに庭をつくり続けたのだろう。

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リョコウバトへ

リョコウバトへ

とだえることのない雲のように
大陸を渡りつづけた
あのリョコウバトの群れが
或る日 ふいに消えて…
宇宙はしーんと目を閉じた

「みんな どこへ いったの?」
ただ一羽 取り残された マーサの声が
いま こだまになって戻ってくる
「どこへ いったの みんな?」

この天体が きらきらと夢見た
たくさんの いのちたちが
砂時計の底へと落下していく…

…その音が
たえまなく足もとに響いてくる…
ヒトの住む
青いガラスの虚空

リョコウバト:その渡りによって、3日間も空を覆いつくしたという、北アメリカの
渡りバト。乱獲により、100年ほどであっけなく絶滅した。野生の一羽が最後に
撃たれたのは1907年9月23日。動物園でマーサが死んだのは1914年だった。

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そして 一匹も

そして 一匹も

クリスマスの日に
その島が発見されたとき
島はジネズミたちの天下だった

だがそれも
《クリスマス島》に
ヒトが住みつくまでのこと…

いまごろ
クリスマスジネズミたちは
歯ぎしりしていることだろう
「クリスマスってやつは不吉だよ」と…

かっては
天国だったあの島を
もう一つの天国から見下ろして

クリスマスジネズミ:1643年のクリスマスの日に発見された
クリスマス島に、その後200年以上にわたって、はびこっていた
トガリネズミの仲間。1900年に人が移り住んで、8年後にはもう
一匹もいなくなったという。その理由はいまも不明。

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プレイバック

プレイバック

空の果てには
永遠に回転するテープがあって
この世のどんな物音も
いっさいがっさい録られているとか…

(蛾の羽音も… 星の爆発も?)
だったら 私は 生き残ろう
永遠よりも ちょっと後まで

そして宇宙のテープを巻き戻そう
ひとり 静かに!

グアダルーペの 島の空へ
ひときわ高く響いたという
カラカラたちの最後の声…
あのタカたちの 命のこだまに
せめて この耳で触れるため

グアダルーペカラカラ:グアダルーペ島に住んでいたタカ。小動物や虫を餌
としていたが、死んだヤギの肉も好んだ。そのためヤギ殺しの犯人にされ、
1900年までに銃や毒薬で一掃された。大声の騒がしい鳥だったという。

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オーオーの空

オーオーの空

ハワイオーオーたちが
この世に残したもの…
それはうつくしいケープ?
それとも魂のぬけがら?

森を 花を 蜜をなくし
その黄と黒の羽毛をなくし
一枚のケープに織られ
ヒトに着られ 商われ…

つばさを失ったものたちが
どこかの星にたどりつこうと
今このときも
けんめいに はばたいている…
羽音のやまない
この私たちの空

ハワイオーオー:今世紀ハワイで絶滅した鳥。流行のケープ用に乱獲
され、羽毛は土産品となり、その棲む森も開発されて滅びた。
ケープの一枚が1万8千ポンドで売られたという。

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