鯨売りの歌

                 鯨売りの歌
              クジラを探しに出かけたんだ
              岩ばかり続く荒れた海へ
              おれの船はもう役立たずで
              迷いクジラの一頭さえ見つからない
              海は汚れ 砂浜は靴跡と骨ばかりさ
              おれはやっと明けがた戻ってきた
              地獄の底から引き上げられたように
              おれの心はくたびれて
              なんだかもうあの空がからっぽに見える
              海は黙り 砂浜は靴跡と骨ばかりさ
              むかし仕留めたあの大クジラの声だけが
              あの世までおれの暗い海を騒がせるのだ
              せめておれは歌おう
              残されたクジラ売りの歌を
              おれは歌おう
              すばらしいあいつらのために
              消えてゆくあいつらへのはなむけの歌を
               ”クジラはいらないか
                とりたてのクジラはいらないか
                おいらの仕留めたこのクジラ
                うまいステーキ クジラのさしみ
                大きな骨で家が建つ
                小さな骨で傘を張る
                脂をしぼろう 火をつけよう
                石けんに 機械油に カーワックス
                ダイナマイトに ソーセージ
                肝油、靴べら、麻雀パイ
                ドッグフードから ボタンまで
                無駄ひとつないこのクジラ
                骨から すじから しっぽまで
                使い尽くそう このクジラ ”
              
              さあ、お立会い 
              まるごとのクジラ一頭買わないか
              お代はいらない 
              そのかわり 
              そこに立ってるあんたの魂と引きかえだ           
              それくらい 値打ちはあるよ このクジラ
              海とおんなじ 塩辛い
              血しぶき上げたクジラだよ
              悪魔のように赤い火燃やした クジラだよ
              声限り歌いつづけた クジラだよ
              夢全体と引きかえに
              おいらが仕留めたクジラだよ
                
              さあ、お立会い…お立会い  
 
(これは「滅びゆく動物たちへ」のコンサートで、遠藤トム也さんが朗唱した詩です。
 その朗誦が印象的で、今も耳に残っています。)
 
                     
                       

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キリンの星

ちょっとした買い物で横浜橋商店街まで夕方出かけたら、偶然お三の宮の大祭の日。
次々と御神輿が出てにぎやかだった。目の前でわっしょい、わっしょいやるのを、身をよ
けるようにして眺めるのは久しぶり。景気がよくて楽しい。今日は十五夜だ。ついでに
花屋さんでススキや吾亦紅やとリンドウなどを買ってきて、きぬかつぎ、枝豆、ゴマ豆
腐などならべ、バルコニーに出て中秋の名月に乾杯。
そういえばいつかこんな月の夜に、わたしは一頭のキリンと道行きしたような気がする
けれど…。
              
                        キリンの星
                   
                   キリンがある日やってきて
                   いっしょに歩いていこうといった
                   青いもやの立ちこめる
                   キリンの星のたそがれに
 
                   キリンはかなしい思い出を
                   心の底にかくしてた
                   二人で荒野を行くときは
                   月がランプをともしてた
                   キリンはとてもやさしくて
                   わたしに腕をかしてくれた
                   だれも人の見ていない
                   海辺のベンチで休むとき
                   キリンと旅をすることは
                   とてもたいへんなことだった
                   だけど二人は夢を見ながら
                   おんなじ背丈で歩いてた
 
                   キリンは何も話さなかった
                   わたしは何もたずねなかった
                   けれど二人は愛し合った
                   遠いはるかな星の上で
     
                            (作曲:淡海悟郎、 詞:水野るり子)
                     

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野良犬ピエール

            野良犬ピエール
      まるで厚いガラスの切り口みたいに青い
      まるで言葉をなくした心みたいに青い
      まるで空一面になびく花みたいに青い……
      
      …そんな青い夏の夜明けに
      まぬけな野良犬のピエールは
      声も立てずに死んでいった  
      風にそよぐ麦畑の片すみで
      空は 何にも言わずに 最後の星を消して
      風は白く 何にも言わずに 麦の穂をゆすり
      大地はめざめ 何にも言わずに けものたちをそっと抱く
      …そんな青い夏の夜明けに
      捨てられた野良犬のピエールは
      朝露にぬれたまま声も立てずに死んでいった
      すりきれた小さな首輪つけたまま
      
      ”そうしてその日空にゆれる向日葵の花の下で
      おまえは目をひらいたまま 
      初めてのみじかい夏と別れた”
(「一匹の犬よ。おまえがイヌでわたしがヒトだから おまえを殺したものを訴えることが
 できない。 おまえが輝く夏の夜明けにどのように無残に一つっきりの命を断ち切られ
 たかを。おまえの白い毛並みがどれほど農薬の吐しゃ物で汚れたかを。おまえのまだ
 幼い目がどんなに空しく明けそめた夏空の青さに向かってひらかれていたかを。
 おまえが犬でわたしがヒトだから、わたしはただ悲しむことしかできない。」……と前書き
 をつけて、この詞を発表してからどのくらいたったことだろう。でも忘れられない事件
 です。私と一匹の飼い犬(拾いイヌ)との間にほんとにあった今は悲しい思い出です。)
       

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カラスの河

                  カラスの河
              
               カラスが空を渡っていく
               こわれた古い歩道橋の上を
               カラスの河は鳴きながら
               たそがれの黒い七つの森をさがしている
               樹がたおれ 家がたおれ
               どこまでも空が焼けている
               でもだれも見るものがいない
               時間だけがのこされて
               大きなフラスコの底におちてゆく
               カラスが空を渡っていく
               こわれた黄色いガスタンクの上を
               カラスの河はうたいながら
               血のようにけむる夕焼けの空に沈んでいく
               樹がたおれ 家がたおれ
               どこまでも空が燃えている
               でもだれも見るものがいない
               時間だけがのこされて
               大きなフラスコの底に溜まってゆく
(これは1978年遠藤トム也さんとコラボレーションのような形で”滅びゆく動物たちに都会の片隅から唄う”というコンサートを新宿でひらいたのですが、そのときに書いた詩です。作曲は南さとし氏。現在パリに住んでいるトム也さんは、その後もこれを大事に唄っているとききます。)    

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サビという馬

                 サビという馬
              サビという馬のこと知ってるかい
              ある日岬にひとりっきりでやってきた
              暗い目をした三文詩人
              あいつといっしょにいた馬さ
              裏切った恋人や動物のこと
              たった三つの小さなうたを残しただけ
              ほかには何も残さなかった
              笛だけがあいつの持ちものだった
              サビという馬のこと知ってるかい
              岬の小屋で三文詩人の死ぬ日まで
              いっしょに暮らした馬のことさ
              あいつの笛をききながら
              サビという馬のこときかないかい
              風のなかで岬の小石に打たれていた
              激しいあいつの心を知っていた
              サビの行方を知らないかい
(これも堤政雄さんによる作曲。私はとても好きな曲だ。いまフランス在住のミュージシャン、遠藤トム也さんもこの歌をレパートリーにしていたが、三文詩人という言葉に違和感があるという。今は通じないかもしれない表現だが、あってもいいではないかと思う。ちょっと埃くさい感じがしてそこがいいと自画自賛。もっとも仏語に訳すとどうなるのだろう?)           
              

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カモメの島

               カモメの島
         
          カモメたちの飛ぶ島へいきたい
          真昼の海に浮かぶ
          緑の泡のような愛の島に
          
          カモメが虚空のなかをはばたき
          空と海でたくさんの風車がまわる
          私はあなたのなかで透明な海になり
          あなたは私を渡る虹のかなしみになる
          
          カモメが海の秘密をしゃべり
          砕かれた貝がらの浜辺がつづく
          私はあなたを呼ぶ海の混沌になり
          あなたは私を染める大きな夕焼けになる
          カモメたちの死ぬ島に行きたい
          暗い海に沈んだ
          花びらのような過去の島に
    
     (これははるか以前に書いた詞ですが、堤政雄さんの作曲でCDにも入って
     います。一部でけっこう愛唱された曲です。今読むとなんだかはずかしい
     けれど。)
    

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夢の味

今、次のファンタジーの会のテキスト、漱石の「夢十夜」を読み返している。これは読むほどにおもしろくなる物語だが、これとは別にメンバーの方たちの見た夢というのが手元にあって、それを読んでいるとつくづく人間というのはおもしろい存在だなあと思う。一人ずつが、夜にはこんな不思議な世界をひとりきりで生きているのだもの…。人生は決して平板なものではないのだ。
手元にある夢のなかから比較的みじかく、おもしろい夢を一つ引用させていただこう。
たとえばさんのこんな夢。
「ドアがカサコソと震え,少しずつひらく。小犬のようなクマがまじまじと私を見ている。鼻の先が乾いているクマを抱き上げ、私はドアの内側に入る。
静まり返った部屋の奥から、タップを踏む足音がする。ロバが床をたたきながら、近づいて来る。蹄を笑い転げるように響かせ,「さあ、君も踊って」といって、ロバは肩を揺すりながら遠ざかっていく。
「ママを探さなくちゃ」という、クマの重みが腕に加わる。私は立ち上がり、窓の外を眺める。濃い灰色の雲の下の森はぬかっていそうだ。長靴をはかなければと思う。
丘の向こうから、バイクの激しい音が聞こえてくる。そっくり返った姿勢で運転しているのは狼のように見える。……(以下略)」
夢分析などとは無関係に、一読してこの夢は、まるで詩のなかを散歩しているような情景だ。この夢はこの後、晴れやかな心象のうちに幸せ感をもって終えるのだが、この夢の題は「眠りの内で、認識している音」という。ほんとにリズムと響きにみちた躍動的な夢だ。こんな夢を見た朝、夢主はきっと気分がいいだろうなあと思う。
 
とてもいい夢を見て、それをすっかり忘れる一日。すてきな日とは、ほんとはそんな日かもしれないが。

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ナス料理

ナスっていろんな風に料理できて、便利ですね。最近教わって美味しかったので、そのレシピ。
かなりいい加減ですが。
 ナスのへたはそのまま、あの先っちょのへらへらした部分だけまるく切り取っておく。
 茶せん(といっても1センチくらいの厚さでいい)風に縦に切れ目をいれておく。 
 フライパンにごま油を入れ、刻みにんにくを炒める。
 ナスを入れ、なべ底にぎゅっと押し付けるようにしながら両面をやき、酒、しょうゆ,
 砂糖を同分量ずつ入れ、(各大匙2はい程度)落し蓋をしてぐつぐつ煮る。
 さいごにひっくり返して、甘酢(私は梅玄米酢を使う)をかける。
 これはご飯に合います!
以上、このレシピは薬膳の武鈴子氏からのヒントです。

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ベストの100冊

今日、金原瑞人さんのファンタジーについての講演をきいた。そして20世紀の
文学作品のベスト100についてのアンケート結果を知る。それはヨーロッパなど
に200以上の店舗をもつ本の大型チェーン(ウオーターストーン)が行ったアンケ
ートの結果だ。そこから二万五千人以上の回答が得られ、その結果は1997年
の(タイムズ・オブ・ロンドン)でも紹介されたとのこと。
それによると、10位までは�指輪物語 �一九八四年(ジョージ・オーウェル) 
�動物農場(ジョージ・オーウェル) �ユリシーズ(ジェイムズ・ジョイス) 
�キャッチ22(ジョゼフ・ヘラー) �ザ・キャッチャー・イン・ザ・ライ(サリンジャー) 
�アラバマ物語(ハーパー・リー) �百年の孤独(マルケス) �怒りの葡萄(ス
タインベック) �トレインスポッティング(アーヴィン・ウェルシュ)となっている。
もちろん英語圏に片寄っているが、それは仕方ないことなのだろう。
なお100位までのなかには、意外に子どもの本が多く、16位「たのしい川辺」
17「くまのプーさん」、19「ホビットの冒険」21「ライオンと魔女」などが登場する。
また100冊のなかでもっとも多かった作家はロアルド・ダールで、その4作は、
いずれも子供の本やファンタジー系だったとか。
そんなことからみて、20世紀後半から21世紀にかけては、子どもの本やファンタ
ジーが文学に市民権を得てきた時代といえるだろうとのこと。
ファンタジーを読む会を仲間と続けている私としては、これは興味ある話題だ。
が、たとえば私たちが今まで取り上げた吉田篤弘の作品や、これから読みたい
いしいしんじや、町田純の作品などは、(ファンタジーを指輪物語のような枠組みで
とらえると、)いったいどうなるのだろうなどと思ってしまう。もちろん読み手としては
そんな分類にこだわることはないのだが、日常と幻想の境界をこえ、あるいはすれ
すれに飛翔しながら展開される日常異化作用のある作品は、ファンタジーの方法と
して私にはとても興味がある。(それには文体の問題が微妙に絡むかもしれないが)
ファンタジーブームなどといわれて次々出版されるそれらしい大きな物語の枠の
外で、この日常と微妙に交錯し、あるいは侵し、あるい姿をくらましながら、この
窮屈で一元的ななまの現実を異化し、おもしろがらせてくれる、ユーモアとファンタ
ジーに溢れた軽業師たちを期待するのは、私だけではないだろう。

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ニューオーリンズ

ニュースでニューオーリンズのハリケーンによるひどい災害の様子を見ると
いたたまれない気持ちになる。どんな災害でもそうだが、ニューオーリンズ
は14年も前のことだが、フレンチクオーターにあるホテルに何日か泊まり、
愉しい思い出をもらった街なのだ。バーボンストリートのホールでミントジュ
レップを飲みながら楽しんだジャズの数々。プリザベーションホールの前に
1時間以上も行列して、床に座り込んで聞いた地響きするようなかっこいい
バンドの響き!
あのピンクの化粧台のあった、マリー・アントワネットホテルはいまどうなってい
るだろう。それから夜のミシシッピを下るケイジャンクルーズの夕食で、同席した
スイス人夫妻と、サンフランシスコからやってきたと巨大なお腹をゆするアメリカ
人の夫とその妻。お祭り騒ぎだったあれらの日々の断片が、影絵のように、いま
脳裏をめぐる。
アメリカにいたとき、ニューオーリンズの話になると、だれもが嬉しそうな顔にな
り、目を輝かせたものだ。いろいろな陰影はあっても、旅人にとってあんなユニ
ークな出会いの街はめったにこの地上にはない気がする。だからいっそうつ
らいし、あそこに暮らすひとびとのために祈りたい。少しでも早く救いの手が伸べ
られるようにと。陽気だったあの人たちに穏やかな日々が戻ってくるようにと。
私たちにかけがえのない悦びと思い出をくれたあの街のために、今、切に祈りたい。

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