町田純のヤンのシリーズは不思議な魅力をもつファンタジーだ。物語というよりは独白体で際限なく語られる夢みたいでもある。ヤンの絵がとてもいい。後足で立って歩く孤独な猫のヤン。その背中の表情の豊かさ…。その背中を吹く草原の風の響き…。
「この一瞬の刻(とき)を大切に…」と、ヤンは思っているらしい。そのような一瞬はなかなかやってこないのだから、いっそう大切にしなければ…と。
「草原の祝祭」のなかに、今日はこんな文を見つけた。
「結局楽しいことや愉快だったことの記憶は、ある程度の年月がたつと、すべて哀しみのガラス玉にとじ込められてしまって、思い出すごとに、一つ、二つ、三つと、大きな広口びんに入れられていくんだわ。そして、こういったたくさんのびんは、それがどこにしまわれたのか、誰も覚えていないの。
ところが、寂しさや哀しさの記憶は、清冽な川底に散らばる、さらさらした白っぽい長石や、透明な石英の粒子のように、ときどき高まる意識の流れに舞い上がったり、無意識の淀みに沈み込んだりしながら、少しずつ、気が遠くなるほどゆっくりに、生涯の最期の河口に向かって、流され、進んでゆくの。
だから、死ぬ前に蘇る全ての記憶は、哀しみの記憶なのよ」
「でも、こうやって最期の時まで磨かれた、寂しさや哀しみの記憶ほど美しいものは、これほど美しいものが、ほかにあるかしら!」
これは草原を走る汽車のなかである女性に語らせている言葉だ。
私も夢のなかでときどき、しまい忘れた小さなビンなどを見つけることがある。それは目覚める前に、また意識の彼方の闇へと運び去られてしまうのだが。あるときは、ビンのなかに小さな魚たちが泳いでいたり、あるときはその底にわずかな水だけが光っていたりする。あれは私の遠い歓びや楽しさの記憶の結晶でもあるのだろうか…。
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