キューバ音楽《ヌエバ・トローバ》

 先日、《東京の夏》音楽祭で、キューバ、ヌエバ・トローバの夜というのをきいた。最初の音が響いた瞬間、なつかしさが胸の奥に響いてくるような音楽だった。ヴォーカルでは、ビセンテ・フェリウ、ラサロ・ガルシア、アウグスト・ブランカの3人が登場。解説は八木啓代さんだった。
       DONDE HABITA EL CORAZON  (心の在処)
     愛を戦い、夢のかたわらでパンを焼く地に、私は生まれた
     
     黒人とスペインの血と、ほんの短い歴史
     私は海の真ん中からきた
     北というよりも南から
     そして赤い血がこめかみを流れる
     私はそういうところの生まれ
     たとえ世界のどこにいたとしても
     夜が空を覆い,信念に危機があったとしても
     私はそういうところの生まれ
     心のあるところの者
     鳩といっしょに夢を見て、愛のために死ねるところの
 
 さて、このトローバの発祥は、キューバがスペインからの独立を果たした独立戦争後のこと。ギターを手に歌い出した人々がいて、ヨーロッパの影響や植民地文化のスペイン民謡やアフリカ奴隷のリズム感などをも含む新しい歌の流れをつくり出した。これが中世ヨーロッパの吟遊詩人(トロバトゥール)の名をとり、トロバドールと名乗るようになった。
 これは更にキューバ革命の直後の流れにつながる。革命後の動乱や喧騒、識字運動など、混沌の底から、2度目の変化が起こり、若者たちがかつてのトローバの流れを汲みながら、ギターをとって,愛や別離、美しい風景や再生したばかりの祖国キューバへの思いを歌い出した。その頃はやっていたジャズやブルースやロックをも取り入れ、それらを消化しながら新しい多くの歌を誕生させていった。
 やがて個々の才能は互いに引き合い、連絡を取り合い、ひとつの大きな流れとなり、「ヌエバ・トローバ」(新しいトローバ)と呼ばれるようになった。そして80年代のラテンアメリカで、キューバ革命の象徴として、人々に熱狂的に受け入れられ、軍事政権や政情不安に蝕まれた国々で、彼らの歌こそが自由の象徴となった。
 ビセンテ・フェリウは1947年ハバナ生まれ。その作曲活動は1972年になって「ヌエバ・トローバ」と名付けられる運動となり、そこから多くの作曲家を輩出した。舞台で演奏するフェリウはとてもナイーブであり、心から音楽することを楽しんでいて、ギターと歌の化身のようにも見えた。
 (以上ヌエバ・トローバについては第23回《東京の夏音楽祭2007》の解説を参照した。)
               

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新しい借家人?

 10日ばかり前にキアゲハが羽化した例のイタリアンパセリのプランターの空き家に、今朝またキアゲハの幼虫たちを発見!!しかももうほとんど枯れかけて茶色くなりかけた実の部分にかじりついているではないか。大中小の3兄弟が!(やれやれ)だ。 仕方なくもう一つの元気なイタリアンパセリの鉢を、そのプランターの隣に置いてみた。(こっちの方がおいしいよう…という気持)
 
 夕方のぞいてみると三匹ともちゃっかり新しい鉢植えの方へ引っ越している。どうやって?こんな虫でもきっと、匂いか何かで食料豊富な場所が分るのか。駄目なら手を貸そうと思っていたのだが。
 それにしても、またしばらく小さな借家人のために、気が休まらなくなりそう。今日は34度の猛暑。ベランダ暮らしの彼らも大変だとか、いろいろ。

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裏磐梯

7月の末頃、裏磐梯へ短い旅をした。梅雨がまだ明けない頃だったが、幸い天気に恵まれて、爽やかな山の空気と磐梯山の壮大な風景を楽しむことができた。宿泊は猫魔ホテルという大きなホテルの南側の端の部屋だったので、(温泉やレストランが北側の端!)一日に何回も、ホテル内を(ここで言えば石川町の駅まで歩いたくらい)往復する羽目になった。(ちょっと大げさ?)
でも部屋の窓は緑一面の森に面したみたいで、都会暮らしの疲れをしばし忘れることができたし、春樹の「1973年のピンボール」を読み返すことができた。彼の文体の魅力についても見直した。
宿の前の桧原湖を船で二回往復して、磐梯山の大きくえぐられた山容が湖面に映るのを眺め、その湖面の深い青を心地よく眺めて、とてもいい気分だった。遠方に吾妻連峰。湖面にはカヌーをやる人々。森からホトトギスの鳴声。(ちなみに磐梯山とは天にかかる岩の梯子の意味だそうです)
だが桧原湖の歴史はすごい。この湖は120年前くらいの、1888年7月15日、磐梯山の噴火に伴う山体崩壊によりできた堰止湖で、噴火の際には500人以上の死者が出ているとのこと。その折に桧原村は湖底に沈み、地域社会は消滅した。そして現在も水位の変動により、集落のあった鎮守の森の鳥居や墓石が顔を出すことがあるという。そんな解説をききながら湖を観光すると、足の下がむずむずしてくる。この爽やかな静かな湖面の下には、何層もの見えない時間が沈んでいて、耳を澄ますと、噴火の際の村人の悲鳴が耳に響いてくるようだった。
台風、地震、洪水、そして戦争、原爆。一瞬のうちに時間の亀裂に呑み込まれていった人々はどんな消息をこの地上に残してくれるのか。、私たちは歴史の薄い表皮で、今、この一瞬を生きているにすぎない。だからいっそうそれはかけがえのない時でもあるけれど。
会津を旅するのは3回目だが、いつも何か懐かしいものを私に感じさせてくれる風土なのです。

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キアゲハ

 この前のブログに入れた身元不詳のアオムシ君が,17日に蛹化の準備を始め(完全に蛹の状態になったのは20日)、今日しっかりと一人前のキアゲハに羽化して旅だちを果たしました。茎に固着してから13日、完全な蛹になってからは10日目になります。なにしろ庭のプランターの中でのこと、蛹の期間に、私も3日間旅行で不在にしたり、天気も不順で暑かったり、寒かったり、雨続きだったりして気を遣ったのですが、やっと無事に旅立ったわけです。
 今朝7時頃、プランターをのぞいたら、蛹がややうす茶色になっているし、普通羽化まで1週間から10日と聞いたので、もしや中で死んでしまったかと心配でした。その上、今日は大きな低気圧がきていて、雷雨、突風などにおそわれるとのことで、はじめて雨の当たらないひさしの下に入れて様子を見ることにしました。
 そして、8時半頃だったか、通りかかりにふとのぞいて見ると、なんとキアゲハの美しい模様そのまま、蝶が一匹羽を広げているではありませんか!プランターのイタリアンパセリの茎にです。多分8時頃に羽化して羽を乾かしていたのでしょうね。
 ところがその後雷鳴も近づき、ここで飛びたってはどうなるかという親心で、さらに家の中へとプランターごと取り入れて、再び翅をたたんでしまった蝶を、はらはら見つめるばかりの時間…、彼はほとんど動きません。そのうち午後になって、そばに置いた紫のセージの花によじのぼったり、たたんだ羽を開いたりして見せてくれました。その頃やっと雷鳴が遠ざかり、雨も一時上がったので、「今だ!」とばかりプランターを戸外に出すと、彼(彼女)はいともかろやかに曇天の空高くのぼり、西北の方向へと飛び去りました。
 今また雨音がし始め、キアゲハ君の前途は多難だなあ…、せめて梅雨明けに羽化すればよかったのになあ…と今後の運命を思いわずらっている私です。それにしてもこれも個体にインプットされた運というべきでしょうか。うまく雨を避けて、花の蜜を見つけて、相性のいいどなたかに出会いますよう…と願うのみ。(本音は、「ああ、ホッとした!」というところです。)
 そういえば、アオムシ君が17日に蛹になるべくうろうろと場所探しを始めたその時、それから(羽化の瞬間は見逃しましたが)、羽化後飛翔にいたるまでのじりじりした時間、そしてあっけない旅立ちの瞬間、それぞれ大事な節目ごとに、偶然その場に居合わせる結果になったことは、ラッキーでした。飛翔前の静止タイム約6時間、その美しい模様、形態を上から横から、子細に観察させてくれたのですから。

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身元不詳

プランターのイタリアンパセリの葉群に、数日前一匹のアオムシをみつけた。けっこう華々しい装いで、ミドリの背中を黒とオレンジの柄でばっちり決めていて、ひと目見てキャッといって、反射的につまみ出し、殺戮に及ぼうとした。しかしなぜか、でもまあ、後一日くらい様子を見ようと、つまみ出すのも気持ち悪くて放っておいた。次の日も同じ、その次の日も…と見過ごすうちに、だんだん興味が湧いて何の幼虫か調べたくなった。彼(彼女)は一匹だけの気楽さで、イタリアンパセリをのうのうと食べ放題。そのせいかすぐ4〜5センチに成長。毎日黙々と孤独に生きぬいている。
ついに「庭・畑の昆虫」という本を引っ張り出して、丹念に調べてみた。すると特徴ある背中の模様から、キアゲハの幼虫らしいことが分った。かれらはニンジン畑に多く生みつけられるらしい。主な食草のセリ科の植物は高山にもあるので、幼虫は高い山でも育つということだ。食草の種類としては、ミツバ、ウイキョウ,カラタチ、パセリ、セロリ、セリなど香りの強いものが多い。
さて、このアオムシ君、昨日の夕方のぞいていたら、それまでじっとしていたのに、雨の中を急に右往佐往と歩き出し、地面に降りたり、他の茎にのぼったり試行錯誤。ついにかなり遠いところの茎にしがみついたまま固着状態になったので、どうやらそこでさなぎになるのでは。このヒト?(今はそういう気分)がキアゲハへと羽化するのはいつだろう?
それにしても夕暮の雨に濡れながら、長い間、このアオムシ君の行動をしゃがんでみつめていたせいか、今日は風邪っぽい。下手をしてキアゲハ症候群による風邪にまで発展しなければよいが。

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「のどが渇いた」 八木幹夫

 6月の読売新聞掲載の八木幹夫さんの詩を、あらためてここに載せたい。

              のどが渇いた             八木幹夫

       どーっとかたまりになって走っていった
       象の大群ではない
       どーっとかたまりになって動いていった
       土砂くずれではない
       ずーっとかたまりになって揺れていた
       逃げ水ではない
       ずーっとかたまりになって働いていた
       更新された機械ではない
       ときには
       鬼の充血した目のような
       マグマをのぞかせることもあったが
       おおむね我慢した
       
       かたまりになるのは嫌だったから
       朝早く家をでて
       会社へも 外国へも
       この世の果てならどこへでも
       飛び出した
       かたまりのまま
      
       どーっとかたまりになって定年退職
       塊
       ニンゲンのかたちとは似て非なるものだ
       土まみれの鬼だ
       ついに
       コケ生す巌(いわお)となるようには
       一枚岩にならなかった
       どーっとかたまりになって死亡通知
       (ここで一同起立 君が代斉唱)
      
       ひかりの揺れる川床で
       それぞれのさざれ石はあぶくのように
       つぶやいた
       「のどが渇いた」 
             ※
読むと分りやすいが、書くのはなかなか難しい作品だ。この鮮やかで痛烈な風刺に、「やった!」と胸の中で叫んでしまった。とくに3連、4連の切れ味のよさ…。
八木さんに言わせれば,「団塊の世代の自虐と揶揄と風刺をこめた」作品ということになるが、団塊の世代でなくとも、今の時代と世相を生きる多くの人間にとっては、胸のすく思いで読める一篇ではないか。
       
        
        

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「雪の時間」ーSomething 5−

鈴木ユリイカさん発行の「Something 5」が届いた。毎号そうだけれど、さまざまな女性詩人たちの作品と刺激的な出会いをすることができた。この詩誌には常に時代の呼吸を生々しく感じる。今日はその中から田中郁子さんの作品を引用させていただく。

                 雪の時間     田中郁子

          
          深雪に埋めつくされた刈田は見知らぬ国の原
          
          降り積んだ雪に記憶の風が
          
          吹き寄せ吹きだまりができる
          斜面ができる
          さらに雪が降りさらに風が吹き
          やがて象の耳がかたどられていった
          いま おさない象が群れからはぐれたのだ
          はぐれた象のために
          吹雪はひそかに胴体の輪郭を描いていった
          さらに雪は降りさらに風は吹き
          胴体のつづきに長い鼻の輪郭を描いていった
          ああ やっと
          低い声で助けの信号を送りはじめたのだ
          しかし 風は吹き荒れ雪を舞い上げ
          やっと伸ばした鼻を消し去り
          胴体を消し去り
          耳のかたちひとつだけを残した
          谷間の川面から吹き上げる風が
          ほうほうと身をよじり
          象とたわむれているのだ
          だが 聞く耳ひとつあればいい
          わたしは ふと自分の耳に触ってみる
          わたしの一番深いところでねむっている無数の耳
          聞くことを忘れた耳
          はぐれたわたしの耳のために
          吹雪はやがてわたしの耳をかたどり始める
          そのように雪は降りつづき
          そのように風は吹きつづけ
                  ※
 田中郁子さんの詩には青く発光するエネルギーがある。孤独な星からくるような、その力ある生のイメージは、天と地の間を黙々と、鳥のように、虫のように、日々生きていくものとしての生命自体のメッセージのようである。暮らしのなかの自然の風景から立ち上がる自在な想像力の奥行きに、私はいつも引き込まれる。その力のある語りのリズムには賢治の声を思うことがある。
 またこの作品を読んで、私はふとアリステア・マクラウドの傑作「冬の犬」を思い出した。冬、雪、冷気、孤独、そういう自然の激しい力は、反作用として、人間の内部の営みにダイナミックな想像力を吹き込むのかもしれない。
    

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Ashes and Snow

 お台場のノマディック美術館で、グレゴリー・コルベールの《Ashes and Snow》を見てきた。人間と動物とが、同一平面上で、まるで夢の中でのように親密に触れあっているその映像は、どうしても現実とは思えないほど不思議だ。だが、このドキュメンタリーフィルムは、「どの作品もデジタル画像処理や合成、字幕などを加えずにコルベール自身がレンズを通して見たままを記録したものばかり」とのこと。
 
 彼は15年の年月を費やして、インド、エジプト、ミャンマー,トンガ,スリランカ,ナミビア,ケニア,南極大陸,ボルネオ諸島などの世界各地に40回以上の遠征を行い…」、これらの人間と動物との交流を収めた映像を撮ったという。
 
 その多くに水の場面が使われ、私は、人が胎児だったころの羊水の世界を想わざるを得なかった。(水中を泳ぐ象と人間のシーンのすばらしさ)。生命は水から生まれたものであることを、もう一度思い出した。三木成夫さんの「胎児の世界」を思った。
 
 象やヒョウや鳥やオランウータンたちが、ヒトと触れ合うシーンの無限の静けさとやさしさこそ、ほんとうの生命的真実で、動物たちを差別する私たちの文化こそ、大きな錯誤のなかに置かれているのでは…と思ってしまう。
 
 しかし私は、この作家がどうやってこのような映像を撮影できたのかをもっと知りたいと思った。1時間半ばかり超時間的空間をさまよって、まぶしい戸外へ出たら、そこはお台場。若い女性たちのあふれるこれもまた別の不思議空間だった。私たちの文化はこの先どこへ行きつくのだろうか。

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旅のこと

 このところペッパーランド終刊号の「夢、隠された森」というテーマでの詩をなかなか完成できず、いたずらに日を過ごしていたので、ブログで旅のことを書こう,書こうと思いながら日が経ってしまった。
気がつくともう旅から帰って、10日近く経っている。
 それでもまぶたの裏に車窓の立山連峰や、久しぶりの前田ちよ子さんを囲んでの同窓会?的情景がついさっきのことのように浮かんでくる。帰ってから彼女の詩集「昆虫家族」をあらためて読み直してみて、彼女の独自な感性をまたあらためて感じた。書かないでいることが、惜しまれる。今はいろいろな事情もあるだろうけれど、必ずこのような独自な表現の場に帰ってきて欲しいと思う。
 富山では県立近代美術館でルオーの大きな版画展をやっていて、どちらかというと敬遠しがちだった宗教的なものより、サルタンバンクやサーカスなどをテーマにした市井の人々の生気が立ちのぼる作品群に心を引かれた。さらに常設展では、思いがけず初めて出会ったクレーの画や、デルボー、エルンストなどの魅力的な作に出会えて嬉しかった。見終わってから、荒川みや子さんと、野の花の生けられてあるティールームで、ルオー展にちなんだ《聖ヴェロニカ》という特製コーヒーを飲みながらいっときおしゃべりをした。また、富山では池田屋安兵衛商店で、かの越中とやまの反魂丹を買うことができたので、これからしばらく、安心して?飲みすぎることができるかも!
 金沢では室生犀星の記念館が印象的だった。あっけらかんとした散文的な金沢二十一世紀美術館とは対照的に、静かでこじんまりとして、犀星の手書きの原稿や、朝子さんの語るビデオなど…、いかに犀星が愛され、その詩が大事によまれているかを感じた。
 
そして今回の旅の圧巻は、その夜、宿の近くでとった夕食。地酒を飲みながらの、この地方の今だけとれる白えびのから揚げや、ホタルイカ、のど黒の塩焼き、山菜のてんぷらなど、あまりにもぜいたくな晩餐。これは今回の旅のクライマックスかも…ああ、単純。
 なぜかこの富山、金沢の旅の記憶はとてもあかるい。五月の光のなかの緑と、日本海の青と、そして雪をかぶった立山連峰の白と、に縁取られて、私の記憶にくっきりと残りそうだ。
 それにしても、「前田ちよ子さん、待っているから、復帰してね。」

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大庭みな子

 三泊四日の富山、金沢への旅は充分にあかるくて、しかもたのしく、今も車窓から見た立山連峰の鮮やかな全容や、それ以上に旧交を温めたMさんの笑顔などが目に浮かぶのだが、それはまたあらためて書きたい。
 旅の帰りの車中で、一冊だけ持参した「村上春樹はくせになる」(清水良典)を読み終え、以前から興味があった春樹の作品を最初からまたあらためて読み直してみたいと思ったのだが、いやいやその前にまず、このところずっと気にかかっていた大庭みな子の全作品をまず読みなおしたい…などと思いながら、帰ってきたのだが、帰るなり夕刊で、《大庭みな子》の訃報を読むことになった。私にとっては大きな意味を持つ作家だった。初めて「三匹の蟹」や「魚の泪」を読んだ時のあの不思議な眩惑感を忘れることはできない。5月24日午前9時15分逝去…という新聞の活字を見つめてているうちに、自分がちょうどその頃金沢のホテルをチェックアウトしようとして、部屋で腕時計を見ていたその瞬間のことをはっきり思い出した。ああ、あの時だったのだと…。
 深層から表出される葛藤に満ちた人間のドラマと、感覚的なうつくしい文体が微妙にない合わされ、奔放な悪の匂いさえ漂うその文学は、限りなく読者の心ををひきつけた。そこには自己を裏切れない、いきのいい女たちがいた。年を経て、時代も変わったが、もう一度読み返して、大庭みな子がこの世に遺していった言葉のもつ意味をもう一度味わいたい。五月はほんとうは昏いのだと気がつく。

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