影の鳥(Shadow Birds)

    影の鳥
                          水野るり子
鳥は死んでから 
だんだんやせていくのです
  町には窓がたくさんあって
  夜になるとどの窓のおくにも
  橙色の月がのぼります
  でもお皿の上の暗がりには
  やせた鳥たちが何羽もかくれています
  鳥たちは
  お皿の上にほそい片足を置いて
  大きな影法師になって
  月のない空へ舞い上っていくのです
死んだ鳥たちは
雨の降りしきる空で
びっしょりぬれた卵を
いくつもいくつも生むのです
そうして冷たい片足を伸ばして
沈んでいく月をのぞくと
深いところには
人間がいて
窓のなかで
ちぢんださびしい木を切っています
         Shadow Birds
        (Translated by Edwin A.Cranston)
Birds after dying
gradually grow thin
   In the town there are many windous
Deep in every one at night
an orange moon rises
But in the dark on the platter
a flock of thin birds hids
  Each bird stands
 with one thin leg on the platter
  becomes a large, black shadow
 leaps toward a moonless sky
The dead birds
in the rain-gusting sky
lay dripping-wet eggs
clutch after clutch
  And each stretching out one cold leg
  they peer at the sinking moon
  In a deep place
  are humans
 inside windows
  cutting shrunken, lonely trees
“”””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””
「影の鳥」 は初期の作品です。一枚の画を描くような気持ちで自分のなかの
    イメージを詩にしました。詩集『ヘンゼルとグレーテルの島』 に入れました。
  

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鳥(Bird)

        鳥
                                水野るり子
       空のまんなかで
       
       凍死するのがいる
      
       雹にうたれて
       胴体だけで
       墜ちてくるのがいる
       ふいに
       空で溺れかける
       瞬間の鳥が
       恐怖の足でつかむ
       はじめての空
       その空の深度へ
       首はすでに
       首だけのスピードで
       落ちはじめている
          Bird 
                     
                                      E.A.Cranston訳
There’s one that freezes to death
in midair
There’s one that’s a headless body
falling to death
beaten by hail
Caught by surprise
drowning in the sky
instantly the bird
clutches with the feet of fear
its first sky
Out of the depth of that sky
its head has already begun
at the speed of head alone
to fall
  ”””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””
    これは第一詩集「動物図鑑」に載せた作品です。
    五月頃、はげしい雹に撃たれて落ちる鳥がいるという事をきいて書いた作品です。
    
  

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オーロックスの頁・(The Aurochs Page)

            オーロックスの頁
                                         水野るり子
      この地上が 深い森に覆われ
      その中を オーロックスの群れが
      移動する丘のように 駆けていたころ
      世界はやっと 神話のはじまりだったのか
     
      貴族達が 巨大なその角のジョッキに
      夜ごと 泡立つ酒を満たし
      ハンターたちが 密猟を楽しんでいたころ
      世界はまだ 神話のつづきだったのか
      やがて 森は失せ
      あの不敵な野牛たちは滅びていった
      うつろな杯と 苦い酔いを遺して
      
      破り取られた オーロックスの長いページよ
      世界は それ以来 落丁のままだ 

        ”””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””
(オーロックスは長い角をもつ大きな野牛であり、飼牛の祖先だった。ユニコーン伝説のもとになり
旧約聖書にも登場する。角はジョッキとして珍重され、肉は食べられ、1627年に最後の1頭が死んだ)
       
 The Aurochs page
                              ( Edwin A.Cranston訳)
The earth was covered in dense forest
through it roamed herds of aurochs
like moving hills   maybe the world at last
was entering the time of myth 
When nobles every night filled giant horns
to overflowing with the frothy mead
and hunters took their sport in poarching game
maybe the world was still in myth’s continuum
Finally the forest vanished
those intrepid wild oxen followed into oblivion
leaving hollow drinking cups    and a bitter intoxication
the long aurochs page    torn out    the world’s book
  
has ever since been incomplete

      ””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””
(この作品は以前「夢を見てるのはだれ?」という葉書詩のシリーズに発表したものです。一部訂正しました。)

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灯台(Lighthouse)

                     灯台        
                         
                 水野るり子
                 真夜中の空に
                 雪が降りつづいています
  
                 鳥は もう一羽の
                 相似形の鳥への
                 ひたすらな記憶によって
                 風の圏外へ飛び去り
                 
                 魚類は凍てついたまま
                 聴覚の外を回遊しています
                  〈カタツムリの螺旋は暗く閉され〉
                 私は内側に倒れたローソクを
                 ともすことができません
                 そうして
                 残されたこの島の位置は
                 今 闇に侵蝕されていきます
                                     『ヘンゼルとグレーテルの島』より
                 Lighthouse        ( Edwin A・Cranston訳)
        Snow falls steadily in the midnight sky
         
        A bird 
        impelled by memory of another bird
        shaped like it
        flies away
        out of the wind.
     
       
        Fish
        still frozen
        circle beyond earshot
              
            〈The snail’s spiral is dark,closed in〉
        I cannot light the candle
        that fell over,inward
        And now
        the location of this island still remaining
        is eaten away by the dark  
         
 
           

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影, Shadow(E・Cranston訳)

          影  より
                                             水野るり子
       雪が一日中降っています
       子どもが窓からのぞいています
  
       木は貝類のほのぐらい夢のなかから
       ほっそりと身を起し
       さびしい夢の触手みたいに
       吹雪の中でゆれています
          〈ゆきの底には
          大きな水色の貝が死んでいるよ……〉 
       鳥は銀のほうきの一閃で
       翼と足をもぎとられ
       まっ白い調理場へ
       さかさまに投げこまれていきます
          〈おかあさん
           おかあさん
           ぼくを助けて……〉
       灰色の分厚いカンヴァスのおくへ
       子どもの声が吸いこまれていく夕刻
       一粒の涙が
       大きな黒い影をひいて
       空の深みへ落ちていくのです
                   Shadow -after Klee’s ‘Image d’hiver.’-
It’s been snowing all day
A child is looking out a window
Trees lift slenderly
from murky dreams of shellfish
wavering in the blinding snow
like lonely antennae

Wings and legs swept off
in the flash of a silver room
one by one the birds
are tossed upside-down
into a spotless white kitchen

The child’s voice
is sucked into a thick, gray canvas
in the evening
A single teardrop
trailing a huge, black shadow
falls into the depth of the sky
    

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「月の魚」と英訳

先日紹介させていただいたEdwin A Cranston著「The Secret Island and The Enticing Flame」から、幾篇かの自作品と、Cranstonさんによる訳を載せていきたいと思います。
           月の魚                     水野るり子
   魚よ
   おまえは涙をながしているね
   アンダルシアの原野をゆく
   一頭のロバの背中に
   下弦の月がかかるとき…
   永遠のある一日からひきあげられ
   遠く運ばれていく魚よ
   おまえは乾いていく大地への
   一滴の供物なのか
       Moon Fish (translated by) Edwin A Cranston
    
     o fish,oh
     you shedding tears over
     Andalucia carried
     donkey-back up wild fields
     a waning moon
     drawn bowstring down
     up from one day in eternity
     far,far o fish,carried away:
     you are like one drop of offering
     for the drying earth
   魚よ
   おまえの魂はどこへいくの
   透き通った空の大きな壷のなかで
   月がだんだん欠けてゆき
   おまえが運ばれる土の器から
   海はひとしずくずつ蒸発していく
   すると 魚よ
   おまえの小さなからだは
   月のさみしいかたちに似て
   弓なりに空へはねる
    
 o fish, oh
     your soul-globe’s going
     in the great transparent
     bowl of sky the moon
     breaks piece by piece
     and the sea dries away
     drop by drop from the earthenware vessel
     where you’re carried, o
     fish,oh
     your little body
     copying the lonely shape of the moon,
     leaps bowlike toward the s
ky.
  魚よ 
  何万光年かなたの星にまで
  その水音はとどくだろう
  おまえはそのころ
  憶い出のように
  月のない空にかかって
  うしなわれたこの水の星を
  見下ろしているね
     <strong o fish, oh
that sound of water
stars will listen to
ten thound years from now:
Then you are
hanging in a moonless sky
like a memory
looking down on a lost
waterless planet.

これは1990年頃の作品です。詩集には入れていません。英訳されてから1,2箇所の小さな訂正をしました。
  
     
   
  
  
   
 
  

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『ヘンゼルとグレーテル』の絵本・追悼号

 以前にご報告しましたが、新樹社から絵本『ヘンゼルとグレーテル』(文・シンシア・ライラント、絵・ジェン・カラーチー)が6月1日付けで上梓されました。訳はやさしいようで、表現上で微妙な苦心が求められました。でもきれいな色彩の愉しい一冊になりました。無力な子どもたちが悪の力にめげず、自分たちの力で自分自身をまもるためにたたかい、幸せにたどりつく物語。現代の子どもたちにこそ、元気を与えるファンタジーではないかと、作家の意図を感じさせます。
 やっと前田ちよ子さんの追悼号(ペッパーランド34号)が出来ました。彼女の詩作品12、エッセイ6、それと座談会という構成です。ご希望の方がおいででしたら、ご連絡ください。少し残っております。
 そういえば先日のご家族の方とのお話では、ご長女の紫音さん(15歳)が、前田紫という号ですでに絵画に表現の才を発揮しておられるとのこと、いつか作品を見せていただけたらと思っています。

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阿修羅

 阿修羅展を見に行った。もちろん奈良でも見たけれど、今回は背部までよく見られるというので、混雑を覚悟で、(金曜日、は夜まで見られるというので)思い切って出かけた。(それでも30分は行列したが、気候もよく、ユリノキの花の下のベンチにしばらく休んで行列の後ろについた。そう長くは感じなかった。
 まず八部衆の(カルラという鳥のクチバシをもつ像をはじめ、それぞれの像の表情も独特で)存在感に打たれ、次に和やかな十大弟子のお姿にとても親しみを感じた。さて、その隣室。すごい人波に取り巻かれた阿修羅像が、まぶしいライトを浴びておられ、少年のような無垢な表情をもったまま、そこに三組の腕を宙に伸ばして、立ちすくんでおられるような感じで、そのお姿に私は痛々しさを感じた。
 けれど人々の輪のなかをゆっくり歩みながら、その背後を回り、三面のそれぞれの表情をまじかに見あげていくうちに、像の内部からあふれ出す豊かな生命力の波動に打たれ(特に正面のお顔の表情に)、痛々しさや戸惑いは消えた。阿修羅はやはりすばらしい体験だった。生命エネルギーとすぐれた美がそこに凝縮され、一体となって、多くの人々をとらえて放さない。人々はその場を去ろうとせず、いつまでも、ただただ熱心にみつめていた。
 数年前に、シチリアの海底から引き上げられたサチュロス像は永遠の生命エネルギーの化身のように、私にとって忘れがたい宝物だ。そのサチュロス像が無限の生命の歓びであり、宇宙への賛歌であり、「動の活力」を感じさせるものとしたら、阿修羅像は内面へ向かうひたむきな祈りに支えられた「静のエネルギー」をより強く感じさせた。
 私にとって、わがサチュロスにはモーツアルトのディベルティメントがよく似合った。では阿修羅像の音楽は、何なのだろうと思う。
 
 

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近況報告

    去年の12月以来の投稿なので、忙しかったこのところの、近況報告などをさせていただきます。
    主なことを書かせていただきますと…。

  1. 3月に『ラプンツェルのレシピ』という詩誌を発行しました。
     これは横浜で、時折りグリムなどのお話を読んだり、詩について語り合ったりしている仲間8人で、グリムのラプンツェルのお話をネタに、詩とエッセイをまとめたものです。
     表紙の相沢律子さんの絵がなかなかよくて、一目で印象に刻まれます。
    (なかみは読者の方々のご判断におまかせすることにして)私は大いに表紙をたのしみました。
     まだ少し残部がありますので、ご希望の方は声をかけてください。

  2. この春、EdwinA・クランストン氏が『The Secret Island and the Enticing Flame』 ー (日本の詩における記憶と発見と喪失)ー という副題をもつ著書を、 コーネル大出版部から上梓されました。
     そこに「皿の底の闇ー水野るり子の詩の神話をさぐる」という題の、私の詩についての70頁ほどの作品論が載っています。(クランストン氏はハーヴァード大学の日本文学の研究者であり、このたび その業績により旭日中綬章を受けられたのは嬉しいことでした。)
     私がクランストン氏と会ったのは、ハーヴァード大での一夜のパーティの折であり、それ以来20年近くにわたる、訳をめぐっての、私たちの長い交信がもたらした貴重な果実であることを思うと、感無量です。 

  3. ペッパーランドの創刊同人であった、前田ちよ子さんが去年7月に急逝されました。
     彼女を偲び、その すぐれた詩作品を紹介させていただきたく、追悼誌「ペッパーランド34」を編纂してきました。
     『星とスプーン』『昆虫家族』 の詩集を中心に、9名のエッセイと鼎談による構成で、やっと印刷所に原稿を渡してほっとしています。6月にはできあがる予定ですので、
     お読みいただければ嬉しいです!

  4. 絵本『ヘンゼルとグレーテル』。近いうちに新樹社から訳が出る予定です。
     読みなれたお話ですが、あらためて一語一語自分で訳してみると、一行ずつの微妙な陰影にとらえられて、いい読み方の経験になりました。
     メルヘンや神話のもつ謎と美しさと恐怖の淵が深みをましてきます。このところあらためて物語や伝説のおもしろさに出会い直しています。

  以上、近況からのご報告です。 
 

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斉藤なつみ詩集「私のいた場所」から

最近出会った好きな詩集です。
それは斉藤なつみさんの「私のいた場所」という詩集です。そこから2篇を載せさせていただきます。
            馬               斉藤なつみ
       土壁造りの馬小屋の
       四角くくりぬいた窓から
       馬は いつも顔を出していた
       窓の奥は暗く
       そこから深い闇が始まるようで
       うっそうと木々の繁る道からは
       何も見えなかった
       焚き付けの杉葉を拾いに
       父と山へ歩いていった日にも
       馬は窓から顔を出していた
       その家で主の葬儀のあった日にも
       馬は顔を出していた
       顔を出して
       弔いに集まった人びとの頭上遠くの
       空を眺めやっていた
       馬には顔しかないのだった
       田を耕し
       重い荷を負った体は
       馬小屋の闇にとけて
       きっと もうないのだった
       空にはいつも 
       碧い風が吹いていたから
       顔だけが
       忘れてしまった風景や
       まだ来ない風景に
       まなざしを
       遠く
       投げているのだった
            
       
       いつか 家路をたどるわたしの前にきれいな夕
       焼けの空が広がっていた
       けれども あれは本当に夕焼けだったのだろ
       うか
       赤々と林の向こうに沈んでいく夕日の色も
       刻々と闇にのまれていく林の木々も 本当は
       風のように吹きすぎていくだけの時間だった
       のではないか
       眩しい朱の色で 西の空に刷かれた時間
       もうここにはない
       ならば 遠いむかし 人と肩を並べて見上げ
       たトウカエデの木も 公園の片隅で枝をのば
       し 木漏れ日を揺らしていた時間だったに違
       いない
       貧しくみすぼらしい夢しか持たない私たちの
       頭上にも 果てしなく広がる空のあることを
       指し示し しずかに葉をそよがせていた
       けれども そのそよぎあう葉も 光も そし
       て 手にふれた幹の温かさも 過ぎていく時
       間のことだったのだ
       〈木〉と名付けられ 樹木のかたちをして
       私たちの一日に届けられた
       なつかしいふるさとの町の夜道を照らしてい
       た古い街路灯も 時間のことだったのだ
       スズランの白い花のかたちに 小さく灯をと
       もしていた 私にはそう見えた
       けれども 足元をやさしく照らしていたその
       あかりも 路上に映った母の影も 幼い私の
       影も 遠くへ過ぎていく時間のことだったの
       だ
       耳にのこる母の下駄の音さえも 辺りをつつ
       む夜気の匂いさえも
       いくつもの美しいかたちを私に現しながら
       遥かへと 流れ去っていった時間
       永劫再びめぐり逅うことも叶わない
       そして…
       過ぎた日の思い出を さびしくなぞっている
       この私もまた 過ぎて戻らない時間のことな
       のだろう
       つかのまの人のかたちに見えて 滔々と宇宙
       の闇に流れつづける時のなかへと 還ってい
       くだけの
     ””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””
存在とは何か?…時間や空間のかなたから、形にならないある本質的なイメージを、形象化して伝えてくれる…そんな詩法に触れて、存在のもつ深い時間そのものをかいま見ることができた…そんないい詩集でした。
「馬」という作品では(馬には顔しかないのだった…)ではじまる5連目がこの詩作品全体を照らす光のように啓示的でしたし、「時」という作品の比喩も思いがけない新鮮さで心を打ちました。斉藤さん、いい詩集を有難う!という気持ちで読ませていただきました。
      
  
                  
         
              

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