今日はほんとに文句ない五月晴れだ。バルコニーではノカンゾウのつぼみがいっせいに膨らみ、鉢植えのエニシダの黄色がそよ風に揺れ、チャイブがピンクの花ばなを咲かせている(いつか朝のオムレツに入れてみたいと思いながら、まだ試してはいないけれど)。
こんな日にこそふさわしい稲葉真弓さんの詩がある。
金色の午後のこと 稲葉真弓
ほんとうに生きたのは
たった一日だったのかもしれない
人生は流星のようだ
ぽかんと口を開いていた午睡のときにも
ときは均一に流れていて
ああ なんてのんきだったんだろうと思っても
もう遅い あの幸福な午後
かといって午睡以外になにができただろう
半島の庭のスズメたちの優しいついばみに魅入る目が
いつしか眠りに誘われたからといって
浜尾さんちのクレソンが一気に伸びた朝も
ビニールハウスのなかにときは流れ
窓辺にメジロの素早い飛翔が見えた朝も
翼はときの重力を必死にかきまぜていたのだ
もういちど生まれなおして
ほんとうに生きることについて
生きた時間について
あるいはいま生きていることの喜びや
この目の豊かなスクリーンに映されているものを
ていねいに包み直して
だれかに差し出すことはできるだろうか
なにもかも忘れていく
宿命のような人生のなかで
「いま」という ひかりの一筋をうけとること
包み直すことは
ああ あの午睡もまた
ひとつの金色のひかりだったのだと
いまは少し分かる気がするのだが……
スズメと大地を照らしていた 薄いひかりの筋だって
少しは見える気がするのだけれど……
あの幸福について
だれかと話すため いまいちど
すべり台の下の午後へと降りて行こう
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それぞれの人にとって、降りていきたい午後はどこに?
ひかりの薄い一筋でくるみ、この詩をだれかに送ってみたくなる。