伊藤啓子さんから送られてきた詩集『夜の甘み』(港の人)からです。
夏の夜におとうとが
伊藤啓子
薄暗い古道具屋
光の中 埃がちいさく舞っていた
わたしはくるりと振り向き
奥に座っているひとに言った
こんどは おとうとをつれてきていいですか?
奥のひとが
なんと答えたのか知らない
そこで目ざめてしまったから
着ていた白いセーラーの夏服は
モノクロにかすんでいた
けれど 夢の中の感情だけは色をおびて
くっきり浮かびあがる
そこは秘密めいた
後ろめたい場所らしかった
せめて おとうとと一緒なら
すこしは罪が軽くなると
夢の中のわたしは
ずるくおもっていた
夢の反すうは浅い眠りを狂わせる
寝返りをうちながら
せつなく おもうのは
奥にいたひとではなく
夢でも顔を見せぬ おとうと
あの店の奥に ゆるゆる
入りかける不良少女のあねの腕を
心細げに くいと引っ張る
細くあおじろい首をした おとうと
死んだ母に
一度 問うてみるべきだった
寝苦しい夏の夜
わたしにぴたりと寄り添ってくれる
おとうとを はらんだことはなかったかと
””””””””””””””””””””””””””””””””””
目ざめてみると、夢の中では、はっきり認識していた誰かのことが、はたして現実の誰だったのかどうしても思い出せなくて、一日も二日も、それ以上も、昼の時間のなかに歯がゆく立ち止まっていることがある。自分の心の中に影を落としている何かが、
だれかの形を借りて夢の中に登場するのだろうか。夢の中でさえ、心の中の影は仮面をかぶっているらしい。そうではなくて、私の中のまだ形にならない何かが、言葉となって表現されるのをもどかしく待っている姿なのかもしれない。
細くあおじろい首をした おとうととは、いったい誰なのだろう。私はよく夢の中で
部屋の隅や戸棚の奥に、長い間置き忘れられた鳥かごや、金魚鉢などを見出すことがある。そのなかには、忘れられた一羽の小鳥、むかし飼っていた小魚たちが細々と生きつないでいて、私の心を凍りつかせるのだが。
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