[SPACE」93号で坂多瑩子さんの詩を読んだ。
坂多さんの詩は、どこか独り言のようだ。それは意識の下にあるあちこちの層から、記憶の断片が勝手に顔をのぞかせ、ふたたびどこかに消えていってしまうようでもあり、それは読み手の受け止め方によって、それぞれの人のもう一つのつぶやきや、忘れられたものがりを引きだす呼び水となったりする…そんな感じがする。
石段 坂多瑩子
ひとつふたつ
一緒にかぞえてという
女医さんの声を聞きながら
石段をのぼった
体温はすこし下がっているようだった
石段をのぼりきったところには
タラもどきの木が大きく立っている
夏らしく
茂った木は勢いがあり
あかるい空に
むこうのちいさな家に
それから
自分を描きこむまえに
あたしは何も分からなくなった
気がつくと
へやの暗がりに
ベッド 空っぽだった
ネコがいなくなったネコはあれから一度も帰ってこない
一度もついてきたことのなかった石段を
ぽんぽん跳ぶように
あたしを追い越していった
あたしはネコのように
ないた ないてみたかったベッドの上で
むかし
ひとつふたつ
女医さんと一緒に数をかぞえた
”””””””””””””””””””””””””””
石段や階段をのぼる、おりるということは、平坦な道をあるくのと違い、次元の移動というもうひとつの要素があり、ある意味で負荷〈楽しいにせよ、苦しいにせよ)を感じさせる特殊なイメージをもつ。この詩からは病気か何かで熱っぽい夢にうなされている状況をおもいうかべた。麻酔にかかるときの状態?かもといったヒトもいた。
だが、〈石段)(数える)(夢のなかの状況のような画)〈つきまとうネコのわずらわしさ)などそれぞれの断片が、どこか深い所で読み手に見え隠れする、ある物語の脈絡を感じさせ、気になる作品だった。それも私が石段や階段のイメージになぜかこだわるたちだからかもしれないが。
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