アフターダークより

おもしろいコトバや、印象に残るコトバをときどき載せていこうと思う。
そのままにして忘れてしまうのはもったいないし、「言葉というレンズ」で違った風景を見てみたいので。
今日は村上春樹の「アフターダーク」のなかの文章から。
ラブホテル「アルファヴィル」で、ヒロインのマリと従業員のコオロギが話し合っている場面から。
以下はコオロギの言葉です。
「それで思うんやけどね、人間いうのは、記憶を燃料にして生きていくものなんやないのかな。その記憶が現実的に大事なものかどうかなんて、生命の維持にとってはべつにどうでもええことみたい。ただの燃料やねん。新聞の広告ちらしやろうが、哲学書やろうが、エッチなグラビアやろうが、一万円札の束やろうが、火にくべるときはみんなただの紙切れでしょ。火の方は「おお、これはカントや」とか「これは読売新聞の夕刊か」とか「ええおっぱいしとるな」とか考えながら燃えてるわけやないよね。火にしてみたら、どれもただの紙切れに過ぎへん。それとおんなじや。大事な記憶も、それほど大事やない記憶も、ぜんぜん役に立たんような記憶も、みんな分け隔てなくただの燃料」
「それでね、もしそういう燃料が私になかったとしたら、もし記憶の引き出しみたいなものが自分の中になかったとしたら、私はとうの昔にぽきんと二つに折れてたと思う。どっかしみったれたところで、膝を抱えてのたれ死にしていたと思う。大事なことやらしょうもないことやら、いろんな記憶を時に応じてぼちぼち引き出していけるから、こんな悪夢みたいな生活を続けていても、それなりに生き続けていけるんよ。もうあかん、もうこれ以上やれんと思っても、なんとかそこを乗り越えていけるんよ。」
「そやから、マリちゃんもがんばって頭をひねって、いろんなことを思い出しなさい。……それがきっと大事な燃料になるから…以下略」
                             д        
(記憶というものに、生命力というものに、こんな角度から光を与えられて、なんとなく納得する。ニヒリズムというわけでもなく。私はときどきカラスの鳴き声をききながら、人間のやってることの無意味さをふと示唆されたりする。それとどこか共通するかもしれない。)

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