隔月のたこぶね読書会で、今年はカミュの『異邦人』と『ペスト』に再会した。カミュを読んだのは何十年も昔の学生時代だった。自分も年を重ね、時代も変わって、同じ作家の作品を読むことの面白さを知った。そのことを書いてみたいと思ったが、初めにとても新鮮に読み直した彼の『結婚』の一部を引用したくなる。この”結婚”は生命と大地との、生命とこの地上との結婚を意味している。以下は「チパサでの結婚」からの気ままな引用です。
チパサでの結婚 訳・高畠正明
春になると、チパサには神々が住み、そして神々は,陽光やアブサントの匂いのなかで語っている。
海は銀の鎧を着、空はどぎついほど青く、廃墟は花におおわれ、光は積み重なった石のなかで煮えたぎる。ある時刻になると、野原は陽の光で黒ずむ。目は、睫毛の先でふるえる光と色彩の雫のほかに、何かをとらえようとするが無駄なのだ。まろやかな香りを放つ草花のおびただしい匂いが喉を刺激し、巨大な熱気のなかで息づまるようだ。遠景に、シュヌーアの黒々とした影の広がりを、ぼくは辛うじて望むことができる。それは村を囲む丘陵に根を下ろし、確実な、圧するようなリズムで揺れ動き、海のなかにまさにかがみこまんばかりだ。……
港の左手では、乾いた石の階段が,乳香やエニシダに包まれた廃墟に通じている。その道は小さな燈台の前を通り、やがて野原のまっただなかに沈んでゆく。……
少し歩くとアブサントがぼくらの喉をとらえる。その灰色の毛は見渡すかぎり廃墟をおおっている。そのエキスが熱気で醗酵し、大地から太陽に,あたり一面、強いアルコールが立ちのぼる。そしてそれが大空をゆらめかす。ぼくらは恋と欲情との邂逅を求めて歩いてゆく。ぼくらは教訓も、偉大さに人が求める苦い哲学も、求めはしない。太陽と接吻と野生の香りのほかには、一切がぼくらには空しく思える。……ここではぼくは、秩序や節度は他の人々にまかせておこう。ぼくの全身を奪い去るのは、自然と海のあの偉大な放縦だ。この廃墟と春との結婚で、廃墟はふたたび石と化し、人間の手が加えた光沢を失って自然に還ってしまった。……