小母たちの谷底そのむかし 日嘉まり子

雨の降る昨夜、サボテンの花が開き、一年ぶりなので、懐中電灯をもって、何回もバルコニーへのぞきに行った。小雨に濡れた妖しい白い花。直径10数センチある。
今日はもうしぼんだ花が雨に濡れている。
誰も見なくても、気付かれなくても、花はひとりでやるべきことをやっている…と変な
ことに感心する。
あの世の人たちも、この世で生き切れなかった自身の一日を、今も物語の続きのように、
この世のさまざまの形を借りて、私たちに見せようとしているのかもしれない。不透明で、それ故に魅力に満ちたこの世界のありようを、巫女のように、語り続ける、日嘉まり子さんの神話世界、想像力のこだまが行き交う語りの魅力に引き込まれている。
(6)から(9)までの小母たちの谷底の物語がこの号で展開されている。

 小母たちの谷底そのむかし(6)      揺蘭ーYOURANー2014より

日嘉まり子

亡くなった叔母たちは、風が湿り気を帯び静かに尾を引く日などには女人の体を借りて
この世に現れることがある。
ある時は商店の軒先で、山菜や餅や油で揚げた沢蟹をたくましく商っているのだった。
通りすがりに聞こえてくる会話の中の、最も耳に残る言葉がこだまする時、我々はどの
ようなつながりがあったのかがようやく判明することがある。
先行きはどうなってゆくのかを自分に引きつけて占うと言うこともある。
「静子さん」などと言う共通の知り合いの名前がふっと口に上って、郷愁のような同名
の叔母の姿が、女人の中に匂い立つように現れることがあっても驚いてはいけない。
細長く美しい草の葉の影のような声の叔母の、短かった生涯が流れおちてゆく滝の果て
の先まで、誰かが見送って行かなければ,口惜しさを残して旅だった何人もの小母たち
は何度も姿を現さなければならないだろう。
蝶やカゲロウや虹や、鏡の中の私たちの姿をして。

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