稲葉真弓さんの連作・志摩『ひかりへの旅』にはいくつも好きな詩がある。
読書会で最近読んだ『半島へ』の風景を思い出しながら、もう一度心の中で
岬への旅をした。
メノウー水の夢 稲葉真弓
酸性の雨のふる 降り続ける惑星に生きて五十年
濡れそぼった日々の記憶に
一本の傘が揺らぐ
「わたしたちも いつか 溶けていくのかしら
そういった少女の声はもうどこにもない
残った一本の傘は 骨だけになって
小さな石のかたわらで眠っている
古い傘に寄り添うような
かわいらしい水色のメノウよ
水を求めて傘の下に
すがりつくようにして転がっている
だれも知らないのだ
その石の中に かつて太古の水が閉じ込められていたことを
白亜紀の湿った大地にも やっぱり酸性の雨がふっていたことを
金色の朝日を受けるとき
濡れた羊歯の葉裏が薄緑の刃のように光ったことを
なんどおまえと遊んだことか薄い水を揺らしたくて
閉ざされた水の色を確かめたくて
夜の電灯を消したりつけたり
耳もとで乱暴に振ってみたりもした
すると 石は鳴った かすかに
雨を吸う音さえ聞いた気がする
わたしは歩きたかった その雨のなかを恐竜や 翼竜の巨大な足で
石を踏む つめたい大地を感じたかった
やがて
お前の内側の水はひからびた
骨となった傘と一緒に
わたしの部屋の玄関は お墓みたいにしんとしている
ねえ おまえ 水色のメノウよ
恐竜と一緒に歩く昼や
遠い遠いふるさとの 何度もの滅びと新たな地層を
なきたいほどに恋うる夜がある
ーわたしのふるさと
水を閉じ込めたこの惑星の
降り続ける雨の下で
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先日、みんなと賢治の「貝の火」を読んだ。貝の火にはオパールの美しさが、よく描かれているという。堀 秀道著の『楽しい鉱物学』を読むと、以下のような解説がある。
《昔、浅い海、または湖の底に貝が住んでいた。やがて水が退いて陸地となり、死んだ貝の上に砂が積もっていった。そして貝をふくむ地層は地面の下深く沈んでいた。地表は乾燥して砂漠化したが、地下には豊かな水の層がある。
この熱い地下水により、貝は溶かされていく。水の中にすでにたくさん溶け込んでいた
珪酸分が自然のバランス作用で、貝の中に遊離され、もとは石灰質だった貝が珪酸質の貝に生まれ替わった。その後の地殻変動でこの地層が再び地表に持ち上がってきた。
かつての砂は固まって砂岩となり、その中にオパールになった貝がはさまっている。
珪酸と水を取り入れてオパールになった二枚貝は、外観にはまだ生物だった面影を留めているが、縁の欠けたところから内部をのぞきこむと、宝石の風景が見えてくる。》と。
本には巻貝の化石からできたオパールの写真が載っていて、ふしぎな美しさがある。
賢治は石が好きで鉱物マニアだといわれている。この解説を読むと、小さな鉱物のなかに閉じ込められた宇宙時間の結晶をいまさらのように感じる。
稲葉さんの詩の中で、「わたしは歩きたかった その雨の中を/ 恐竜や翼竜の巨大な足で/ 石を踏む つめたい大地を感じたかった という連から、私は賢治の小岩井農場の《ユリア ペムペル…わたくしの遠いともだちよ わたくしはずいぶんしばらくぶりで きみたちの巨きなまっ白なすあしを見た》の連を思い浮かべた。
大地を踏む大きなすあしと、小さなメノウのなかで鳴る水を聞く耳のことを想った。