木を植える、というイメージは詩のなかによく登場する。そして印象に残る詩が多い。
東北の一本松は、残念ながら切り倒されて、人工的に形を再生され、記念樹としてもとに
戻されるという。けなげな松の木のイメージは世紀をこえて人々の記憶から消えないといい。
昨日、自分の若いころの日記を読んでいたら、一本の木として、自分自身を植える土地
を見つけたい…という言葉があった。まだそんな場所を見つけていないけれど。ちょっと
おもしろいなと思った。
ところで、だれでも心の中に懐かしい…あるいは忘れられない…一本の木を持っているのでは
ないか。私は子供のころ住んでいた家の二階の窓辺に枝を伸ばしていた(お隣さんの庭の隅
に立っていた?)一本のひのきのことが忘れられない。二階の窓際から手を伸ばして、小さな
実を取った思い出がある。木全体でなく、梢の先っぽと親しかっただけかも。
でも不思議によくその木を思い出す。身近にいた木の親友みたいなものだったかも。
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