『夢宇宙論』より

信じられないほど長く雨も降らず、ただ暑さが続いている。むかし、ショーロホフだったかの
小説を読んだとき、「双子のような日々が」いつまでも…、という表現に出会い、慣れない表現
だったので、印象に残った。それがこの暑い日が毎日繰り返されると、突然よみがえってくる。
双子のように変わらない毎日の暑さ!だが、それどころかじりじりと暑さが増してくるように感じるのはこちらの体調のせいなのだろうか。やれやれ! 
と、つい村上春樹風につぶやいてしまう。
そんな日々に、柳内やすこさんの『夢宇宙論』の作品に触れると体感的に、涼しくなる気がする。
                   名前       
                                       柳内やすこ
 
ずっと昔
ずっとずっと昔
生まれる前の
光に満ちた天の草原の
小川のほとりで
私は誰かに呼ばれていたような気がする
それは
この世のどの言語にもない
低くて優しく根源的な響きで
短く繰り返される私の名前
無心に手で水を掬う小さな私を
そっと振り向かせ
微笑みをさせてくれた
遠い呼び声が
いつもそこにあった気がする
始まりの前であり終わりの後である世界には
ただひとつであり無数でもある名前で呼ばれる
白い子供たちがいて
いのちの灯されるまでの永い時を戯れながら待っていた
ずっと昔
ずっとずっと昔
呼ばれていたその名前で
いつかまた私が表される時が来るだろう
それは
この世のどんな音楽も奏でることのない
深くて荘厳な裸の調べで
誰かに歌われる私の名前
            ””””””””””””””””””””””””””””””””””””””
この世を去ってしまったら、もうモーツアルトの音楽がきけないな…と思ったことがある。
でもこのラストの連を読んで、ではそんな音楽を聞ける日がくるのだと…と思い直す。
世界が一つの音楽であればと思う。
           

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