北島理恵子詩集『三崎口行き』から紹介したいと思います。
巻頭の詩と、もう一篇です。
遠景
北島理恵子
わたしたちは
生まれる前の、海の水面のきらめきの話をする
幼い頃布団の中で見た、怖い夢の話をする
いまここにある
かなしみは話さない
廃墟
この街は とうに
消えてなくなっているはずだった
そうした ある日
地下鉄を降り
A7の出口を上がって
砂塵が舞う
乾燥した通りに目をこらすと
あの店の二階の
窓際の席が見えたのだった
狭い 階段だった所をのぼり
いつも座っていた椅子に腰掛ける
「火鍋はじめました」
と書かれた紙が
以前と同じ位置に貼られてあった
触るとそれは
ぼろぼろ 崩れ
目の中に降ってきて
溶けて ようやく終わった
当時 すこし派手めだった飾りが
かすかに赤い
ハエ取り紙のようになって揺れている
ここにはもう
中国なまりのカタコトの店員はいない
何時まで待っても
やあ と言って
向かいに座る人もいない
わたしという
客の形をしたものが いるのみである
”””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””
ひとりずつが、生きている時間のもつ、内面的な多層性。私たちは、詩という形で、
あるいは夢という形で、または追憶という形で、病という形で、そんな時間の一端
に触れることができる。その時間への感触を与えてくれるような、繊細な想像力を
感じさせる詩集だ。ほかにもいろいろあったが、短めのしかここに入れられず残念。
出版は「Junction Harvest」。これは.第一詩集とのことです。
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