阿修羅展を見に行った。もちろん奈良でも見たけれど、今回は背部までよく見られるというので、混雑を覚悟で、(金曜日、は夜まで見られるというので)思い切って出かけた。(それでも30分は行列したが、気候もよく、ユリノキの花の下のベンチにしばらく休んで行列の後ろについた。そう長くは感じなかった。
まず八部衆の(カルラという鳥のクチバシをもつ像をはじめ、それぞれの像の表情も独特で)存在感に打たれ、次に和やかな十大弟子のお姿にとても親しみを感じた。さて、その隣室。すごい人波に取り巻かれた阿修羅像が、まぶしいライトを浴びておられ、少年のような無垢な表情をもったまま、そこに三組の腕を宙に伸ばして、立ちすくんでおられるような感じで、そのお姿に私は痛々しさを感じた。
けれど人々の輪のなかをゆっくり歩みながら、その背後を回り、三面のそれぞれの表情をまじかに見あげていくうちに、像の内部からあふれ出す豊かな生命力の波動に打たれ(特に正面のお顔の表情に)、痛々しさや戸惑いは消えた。阿修羅はやはりすばらしい体験だった。生命エネルギーとすぐれた美がそこに凝縮され、一体となって、多くの人々をとらえて放さない。人々はその場を去ろうとせず、いつまでも、ただただ熱心にみつめていた。
数年前に、シチリアの海底から引き上げられたサチュロス像は永遠の生命エネルギーの化身のように、私にとって忘れがたい宝物だ。そのサチュロス像が無限の生命の歓びであり、宇宙への賛歌であり、「動の活力」を感じさせるものとしたら、阿修羅像は内面へ向かうひたむきな祈りに支えられた「静のエネルギー」をより強く感じさせた。
私にとって、わがサチュロスにはモーツアルトのディベルティメントがよく似合った。では阿修羅像の音楽は、何なのだろうと思う。
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