ロバート・ブライの詩 中上哲夫訳

中上哲夫さんから「十七音樹」という俳誌が送られてきた。中上さんはもう20数年間、ブライの詩を読み続けてきたとのこと、特に2005年から若い詩人たちとブライを読む会を月一回開いてきたとのこと。
私もその訳を読んで、新鮮な印象を受けた。ここにその俳誌2号に載った、ロバート・ブライを読む(1)−恋をするとーから、引用させていただくことにした。
LOVE POEM
When we are in love, we love the grass,
And the barns, and the lightpoles,
And the small mainstreets abandoned all night.
恋の詩     
恋をすると、ぼくらは好きになる、草原を、
納屋を、電信柱を、
そして夜通し見捨てられた本通りを。
          
DRIVING TO TOWN LATE TO MAIL A LETTER
It is a cold and snowy night. The main street is deserted.
The only thing moving are swirls of snow.
As I lift the mailbox door, I feel its cold iron.
There is a privacy I love in this snowy night.
Driving around, I will waste more time.
夜遅く車で町へ手紙を出しに行く      
寒い、雪の夜。本通りには人っ子一人いない。
動いているのは渦巻く雪だけ。
郵便ポストの蓋をあけると, 鉄が冷たい。
こんな雪の夜にはわたしの好きなプライヴァシーがある。
その辺をドライブして、も少し時間を浪費しよう。
                  
(この訳の”プライヴァシー”という表現が心に残った。PRIVACYとう言葉は、日本語に訳すのはここでも難しいというのが分かる。プライヴァシーが意味する観念を日常の日本語ではまだ表わせないんだと気がつく。では最後に訳された詩だけを…。 ) 
         
 雉子撃ちの季節の最初の日曜日なので、男たちが獲
物を分けるために自動車のライトの中に集まる。 そし
て電気の近くで押し合いへし合いし、暗闇に少し怯え
ている鶏たちがこの日最後の時間に小さな鶏小屋のま
わりを歩きまわっている。鶏小屋の床はいまは剥き出
しのように見える。
 夕闇がやってきた。西の方はまっ赤だ。まるで昔の
石灰ストーブの雲母の窓からのぞいたように。牡牛た 
ちが納屋の戸のまわりに立っている。農場の主人は死
を思い出させる色あせていく空を見上げる。 そして、
畑では玉蜀黍の骨がきょう最後の風にかすかにかさこ
そ鳴る。 そして、半月が南の空に出ている。
いま、納屋の窓の明かりが裸木の間から見える。
                            ※
さいごの詩の後半部分を読んでいると、聞く、見る、触れる、嗅ぐ、そしてもしかしたら味わう…までの感覚が刺激され、どこかただならない雰囲気をもつ、秋の夕暮れの一瞬へと、呼び込まれていく。風景の背後に隠された雉たちの殺戮が、この夕景をいっそう赤々と印象付けている。このくだりを小説の一部として読んでも、そこで立ち止まり、強烈な印象を刻まれるだろう。それにしても思うのだが、詩人というものは散文がちゃんと書けないと駄目なのだと。それも一応意味を伝える、用件を果たす、ただ普通の文章が、きちんと書けないと…と。
さてこの一文は中上さんの次のような句で、終わっています。
      雉子撃ちや火薬の匂ひと血の匂ひ             ズボン堂
      雉子撃ちの男をつつく家畜かな
                  
   
             
     

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