かたあしだちょうのエルフ

先日の「さよならチフロ」のおのきがくさんの絵本をもう一冊紹介します。
         
           「かたあしだちょうのエルフ」(文・画)おのきがく(ポプラ社)
 
 これはとても美しく力強い版画によって描かれた絵本です。主人公はダチョウのエルフ。彼は若くて強くて、すばらしく大きな牡のダチョウです。ひといきで千メートルも走れることから、「千」を意味するエルフと呼ばれていました。子ども好きなエルフはいつも動物の子どもたちを背中に乗せて草原をドライブしてやったり、途中で長いくびを伸ばして木の実や種のお弁当をくばってやったりしていました。エルフはみんなの人気者でした。
 ジャッカルが襲ってきたときは、ライオンの声を真似して追い払ったりしてみんなを護りました。ところが
ある日、なんと、ほんもののライオンが現れたのです。エルフはみんなを逃して、必死でライオンと闘いました。エルフの命がけの抵抗でライオンはよろよろと立ち去ります。ところがエルフは足を一本食いちぎられてしまいました!
 それからエルフには苦しみの日々が続きます。子どもたちとも遊べませんし、仕事のお手伝いもできません。餌を探すのさえ、ままなりません。はじめのうちこそ、ダチョウの仲間たちや他の動物たちが食料をもってきてくれましたが、みんなも家族がいますので、いつまでも続くわけではありませんでした。
 日がたつにつれエルフはみんなから忘れられていきました。やがてえさを十分にとれないエルフのからだは、かさかさにひからびて、ただ背ばかり高くなってしまうようでした。ハイエナやハゲワシは早く自分たちの餌にしようと待ちかねています。
 エルフはいまではもう、一日中ひとところにたったまま、じっと目をつぶっているばかりでした。涙がひとつぶ、かわいたクチバシを伝って、ぽつんと足元の砂に吸い込まれていきました。いまのエルフにとっては子どもたちの遊んでいる声をきいていることだけが慰めなのでした。
 そんなエルフの前に、ある日一匹のクロヒョウが現れます。エルフは自分のことを忘れて、近くで遊んでいる子どもたちを助けようとします。「クロヒョウだぞー」、かすれる声で叫んだエルフは夢中で子どもたちをせなかに這い上がらせます。
 真っ赤な口をひらいて飛びかかってくるクロヒョウと、エルフは最後の力をふりしぼってたたかいます。背骨はみんなの重みでいまにも折れそうです。残された一本足には、クロヒョウの牙と爪で、血のすじがいくつもできました。でもやがてクロヒョウはエルフのクチバシでさんざんつつかれ、痛めつけられて、ふらつきながら逃げていってしまいました。「たすかったー。」「ばんざーい。」みんなの声が夢のなかで聴こえたような気がしました。
 《子どもたちは高いエルフの背中からやっと下りました。「エルフ ありがとう。」と、叫んで ふりあおぐと、みんなは あっと おどろきました。そこには かたあしの エルフとおなじ かっこうで すばらしく大きな木が そらに むかって はえていたのでした。 そして,エルフの かおの ちょうど ま下あたりに、きれいな いけが できていました。 そう エルフの なみだで できたのかも しれませんね。
木になった エルフは その日から のはらに 一年じゅう  すずしい 木かげを つくり、どうぶつたちは
いずみのまわりで いつも たのしく くらしました。》                        
                                                        おわり
 一本の木になったダチョウの姿が目にやきつくような、ちょっと哀しいお話です。小野木さんのこれを書かれた想いが今ごろになって私にもじんと伝わってきます。(ある地理書の一枚の写真…アフリカの草原に立つバオバブの大樹と雲だけの単調な風景をみているうちに、頭の中で小型映写機がまわり始め、一匹のダチョウがあらわれ、大きな樹のシルエットが繰りかえし出てきた)と、彼はあとがきで書いています。(自分の中で逆回転する一台の映写機、あっけにとられてそれをみているうちに時を忘れ、その瞬間にエルフの絵本ができた)のだと。チフロもそうでしたが、これも忘れがたい一冊の絵本です。
いま、絵本の表紙裏の彼の写真を眺めながら、このような想いを、この地上に残して、足早に逝ってしまった彼を心から惜しまずにいられません。いまはどこかで彼も一本の樹になっているかもしれません。その足もとに一つの深い池をたたえて…。

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