さよならチフロ

 去年の9月以来久しぶりの投稿です。以前絵本をたくさん買って、そのまま書庫に積んであるので、そこからアトランダムに選んで、一冊ずつ紹介してみたいと思います。
 今日は、画家のおのきがく(小野木 学)さんの画と文による『さよならチフロ』を。北国の海辺の子どもと老漁師との交流をからめて、孤独なこどもの夢を幻想的に描いたこの絵本は、一篇の詩だと思う。
 
ひとりぼっちのチフロは砂浜にぼくのうちをつくっている。そして老漁師と出会う。ある日、しろいかもめ、しろいくも、しろいおんどり、しろいタンポポのわたげ、しろいはなびらのふりつもったかさ…などが、みんな空を飛ぶことを知ったチフロは、ある夜、雪のつもったこうもり傘につかまって、空へと飛びたちます。……やがて、チフロがたどりついたのは彼が砂浜につくった《ぼくのうち》でした。そこには暖炉が燃え、できたてのごちそう、たのしい音楽が。さらにこごえたチフロのための席まで用意されていましたが…。
     
 ゆきがやんだ、翌朝、チフロをさがす老人の目には、
    (みわたすかぎり しろいはまに、…ぽつん…と くろいものが、
     
    …こわれたかさが ひとつ おちていました。    おわり )
 
 たのしさと、さびしさと, こどもの無限への夢とが、パステルの繊細な色調で描かれ、在りし日の小野木さんの飄々とした風貌を思い出させる。
 
 これは1969年にこぐま社から出たもの。私は1973年のインド旅行の折に、彼と知り合った。その後アトリエを訪ねたときに見せてもらった、そのタブローのユニークな《青》を忘れられない。この『「さよならチフロ』を寄贈されたのもその日だった。しかしまもなく彼は他界し、これは貴重な一冊となってしまった。
 (グミとアカシヤと、小松の防風林が果てしなく続く、日本海の砂浜に住んでいた千尋という五歳の子ども)。(ふとした縁で、彼を育てていた老人は、なぜか千尋をチフロとしか発音ができなかった…)とあとがきにある。だが作者が1968年に再びこの現地を訪れたとき、(当時の砂丘は、夕闇の下で荒波に侵蝕され、海底に沈んでしまっていた。)とあり、この絵本はなにかを象徴的に語っているような気がした。心に残るいい絵本だとあらためて思った。

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