小長谷さんの詩集『わが友、泥ん人』より

小長谷清実さんの詩集『わが友,泥ん人』を読む。感じのいい詩がいくつもあって、暑苦しい日々の現実…いや暑苦しい自己のフレームからしばらく解放された。コトバを発することと、周囲の具体的世界が共呼吸していて、ああ、無理がないなあ…と感じさせる。ほんとうは気配というものに、こんなに耳を立てている生き方ってすごいことなのだけど。
                  
                       震えとして
                   
                   天井の裏側を這うようにして
                   少しずつ移動していく何かがあって
                   
                   壁の内側でひっそりと
                   身を捩っている何かがあって
                   
                   部屋の外の階段を目立たぬように
                   ずり落ちていく何かがあって
                   そうした何かに絶えず
                   気を配って
                   もう一匹の
                   何かとして
                   時にふと思い立って 周りの気配を
                   鉛筆で紙の上にメモしたり
                   メモの上にメモを重ねて
                   判読しがたいメモとしてしまったり
                   そうした日々を怪しんでみたり
                   毎日のことだ 怪しむに足りぬと思ったり
                   かくして 表現力のまことに乏しい
                   メモのアーカイブスを
                   ひらひらの一片の紙の上に
                   写し取っているのだ たった今
                   あるいは世界とやらに共鳴するやも知れぬ
                   もう一匹の震えとして 
                        空の破れめ 
                   空に散らばる
                   冷蔵庫 テーブルや椅子 洗濯機
                   書物 枕 電子レンジなど
                   それぞれが
                   傾いたり 寝そべったり
                   ときに倒立したりして
                   散らばり
                   浮遊し 漂ってい
                   その
                   とりとめなさは
                   なんだか
                   わたしの住む世界みたい、
                   わたしの
                   こころの在りようみたい、
                   顔みたい、
                   はらわたみたい、
                   影みたい、
                   来し方かたる
                   経歴みたい、
                   空には深さも
                   奥行きも
                   あまつさえ 理解しがたい
                   破れめもあって
                   あっちにこっちに
                   散らばっている薬壜 パソコン装置
                   テレビ装置 掃除機やシャツなど
                   受話器 ベッド 招き猫など
                   遺失物など
                   それぞれが揺らぎ
                   震え 微かにケイレンし続けていて
                   小さく見えたり 中ぐらいに見えたり
                   まるでわたしの
                   夢みたい、
                   生のステップみたい、
                   足跡みたい、
                   その痕跡の
                   詩であるみたい、
                   ウソみたい、
                   卑小さをうつす鏡みたいな
                   そして 茫漠としたドームみたいな
                   時空に向けて
                   わたしに似た男がコトバを発している
                   やみくもに放っている
                   たとえば「行く!」
                   あるいは「黙る!」
                   たとえば「食う!」
                   あるいは「聴く!」
                   たとえば「眠る!」
                   あるいは「笑う!」
                   けれどもコトバはことごとく
                   それぞれの語尾を震わせ
                   語幹を揺さぶり意味を捩じらせ
                   多層化しアイマイ化し
                   時空のなかに その破れめに
                   吸い込まれて行く、
                   小刻みに、
                   ことごとく、ぜんぶ、
                   朝が来て夜が来て
                   輝く闇が 翳る光が
                   互いが互いを
                   責め合うように     
                   かつ補完するように
                   くんずほぐれつ、
                   セクシュアルな呼気吸気で
                   空を充たしていく、
                   空をネットワークしていく、
                   その破れめを繕っていく
   
こんな風に詩の行為を続けていけたらいいなあ、と思う、そんな読み方をした。          
                     
                              

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