札幌の岩木誠一郎さんから絵葉書が届いた。(「愛虫たち」への私の便りへの返信として)。絵葉書は「支笏湖から望む残雪の樽前山」の風景だった。その写真を見てちょっと驚いた。もうかなり以前だが、ある夏の旅で支笏湖の近くに宿をとり、その翌日に出会ったそれは懐かしい風景だったので。その帰りに買ったクマのぬいぐるみを樽前山にちなんで「タルちゃん」と名づけたくらい、それは印象的な景色だった。そういえば岩木さんからは前にもサロベツ原野に咲く一面のエゾカンゾウの絵葉書をいただいたことがあり、カンゾウは私の特別好きな花なので、偶然の一致とはいえ嬉しくなって、これもいつも本棚に飾ってある。
岩木誠一郎さんの詩の移ろい行く微妙な時間の感触に、私はある懐かしさのこもった不思議な既視感を感じることがある。
出発
明け方まで降りつづいた雨に
洗い流された夢のつづきを
歩きはじめているのだろうか
いつもと同じ道を
駅へと向かう足音も濡れて
わずかにのぞく青空の
痛みににも似た記憶のふるえ
あふれてゆくもの
こぼれてゆくもので
街はしずかにしめっている
このあたりで
黒い犬を連れたひとと出会ったのは
きのうのことだったろうか
それとも先週のことか
少しずつずれてゆく風景を
何枚も重ね合わせて
たどり着くことも
通り過ぎることもできないまま
わたしはわたしの居る場所から
いつまでもはじまりつづけている
ベルが鳴り
自転車が追い越してゆく
銀色の光がすべるように遠ざかり
舗道の上に
細いタイヤの跡だけが残る
この作品の2連目、(少しずつずれてゆく風景を/何枚も重ね合わせて/たどり着くことも/通り過ぎることもできないまま/わたしはわたしの居る場所から/いつまでもはじまりつづけている)という箇所がすっと心に入り込んでくる。自己同一的につながっていくようでありながら、実は少しずつずれてゆく、この時間という風景のグラデーション感覚は、とても現実的で共感できる。こうして人は流れてゆく時間の中から絶えずはじまりつづけてゆくのだと。そしてこのずれながら重なってゆく時間への敏感さこそが、自分の生に、独自の味わいと色合いを感じさせてくれるのではないか。(たどり着くことも、通り過ぎることもできないまま)人は日ごとに前へ生きつづける存在であるらしい。
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