川野圭子さんの詩集『かいつぶりの家』は、はっきりいって薄気味の悪い詩集だ。生きていることの根本にある非合理(生きることの不条理さ)が、身体の生理に密着して滲み出てくるように感じられる、その感覚が否応なくこちらにも伝わってきて…、しかしそれゆえにまた生の手ごたえがびしびしと響いてくる。私などどちらかといえば、及び腰になる感じなのだが、ある意味で忘れがたい作品集だった。
よく、夢の中で得体の知れないものにまつわりつかれて、払い落とそうとすればするほど、いっそうぬかるみにはまるような経験があるが、その感じを実によく表している。また自分自身もそのなかで、結構一役演じていたりするのだ。つまりそれはこの現実の一面そのものでもあるのだろう。
生きているということは、わが身体をもその一部として乗っ取っている「何ものか」の勝手な(理不尽な)営みに支配されていることだ…と、あらためて感じる。
次に挙げるのはちょっとスタンスの違うものだが、これも私が日常よく感じる違和感や不都合さの微妙な感覚を巧みに捉えていると思い、私の好きな一篇である。大男とひな菊、その対象化が象徴的で印象に強く残っている。
ひな菊
苦しいのです 僕は
と大男はうつむいたまま
くぐもり声でつぶやいた
大きなものの存在を
考えてみたことはないのですか
とわたしは聞いた
足もとに ひな菊の花が
大きいの 小さいの 中くらいのと
それぞれの集団を作って
咲いていた
大男は
それらを踏まないように歩いた
頭がめっぽう高い所にあるので
至難の技に見えたけれど
大男はとても注意深く進んだ
その調子でね
と霧の中を
遠ざかっていく大男の背中に
わたしは声をかけた
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