昨日町を歩いていたら行きつけの花屋さんの前で突然声をかけられ、「一体何を考えながら
歩いているの?」という。よほどぼんやり歩いていたらしい。あわてて「しその苗がほしいな
と思って…」などと取り繕うと、(ほんとにそう思っていたのだが)「しそはもうないけど…これをもって
行きませんか」といって大きな分厚い葉のなかに蕾がいくつか覗いている苗の鉢を押し付ける。
グロキシニアといっていまごろは傷むことが多いが、という。グロキシニアときいて、とっさに浮かんだの
は高村光太郎のあの詩だった。智恵子抄の巻頭にある「人に」という作品。
(いやなんです/あなたのいってしまうのが)ではじまる詩だ。
後半に(ちゃうどあなたの下すった/あのグロキシニアの/大きな花の腐ってゆくのを見る様な/
私を棄てて腐ってゆくのを見る様な/空を旅してゆく鳥の/ゆくへをぢっとみている様な/浪の砕け
るあの悲しい自棄のこころ/はかない 淋しい 焼けつく様な/)というくだりがある。
多分高校時代に読んだのだと思うが、私のなかにグロキシニアという花の響きが焼きついた?のは、
たぶんこの詩によってなのだ。おもしろいなと思う。そう思いながら(そうかグロキシニアってやっぱり
腐りやすい植物の一種なんだ…とベランダに置いたまま、押し付けられてやってきたちっちゃな鉢を
覗き込んだ。それにしても、果たして花は咲くのかなあ?
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