ミオの星から 稲葉真弓

昨日、本棚を整理していたら、雑誌『アンサンブル』がたくさん見つかった。
かつて小山内彰子さんという方が編集者であった頃、よく私も寄稿させていただいた雑誌で、発行はカワイ音楽教育研究会である。懐かしく思って、ページをめくっていたら1992年10月号の巻頭に稲葉真弓さんの詩が載っていた。
かつて手元にこれが届いたときの、この詩から受けた深い印象を忘れていない。
あれからもう20年以上経ち、稲葉さんもすでに他界されているが…。

  ミオの星から                稲葉真弓

なんども生まれかわる星がある
闇に光り 闇に消えて
ある日 秋の町にとどくのだ
あたりにはぼうぼうと
赤い夕日が燃えていて
その一点に
ミオの光はともるのだ
私は書こう あなたに
生まれ変わるための
長い年月について
そこにとどくときのよろこびと
消えるときのおののきについて
何億年も残るのは 私の体を包んだ
もう一つの金色の光であったことを

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ふしぎな詩だと思う。心が遠いところへ連れ去られていく。
最近彼女のエッセイ集『少し湿った場所』を読み、彼女の生きた
この世での時間と場所に、少しだが触れることができた。
この詩はいま稲葉真弓さんご自身にこそ、ささげたいと思う。

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「チパサ(ティパサ)での結婚」 アルベール・カミュ

フランスでテロがあり、2人のアルジェリア系テロリストの名が挙げられている。
アルベール・カミュはアルジェリアで生まれ育った、フランス人作家であるが、父はフランス、母はスペイン出身である。(カミュの時代は、アルジェリアはフランスの植民地であった。)カミュは生まれ故郷のアルジェリアの海と太陽を生涯熱烈に愛し、アルジェリアの人々に共感していた。カミュは海と、この大地に、OUI !を叫んだ人だった。パリという都会の空気は彼の肌には合わなかったらしい。
彼は国境をこえ、風土性によって結ばれる《地中海文化》を提唱した。それは彼の思想だった。
彼は当時、アルジェリアがフランスから独立分離することなく、フランスの内部に踏みとどまり、国を超えた新しい文化圏が生み出されることを願っていた。この、国境を超えた風土によってつながり、共生していこうという彼の夢は残念ながら現実化しなかった。そして、今に至るこの時代状況をカミュが生きて見ていたら…どういう発言をするだろうか…と思うのだ。

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『チパサ(ティパサ)での結婚』、はカミュの本質である詩人的な感性に溢れるエッセイだ。読むたびに魅惑され、わくわくする。
チパサはアルジェの西方70キロにある古代ローマの遺跡であり、カミュがこよなく愛した場所であり、生涯に何回もこの地を訪れていた場所であった。
ここでカミュが関心を示すのは、”栄華を極めたローマ帝国でなく、古代の建造物を石へと帰す自然の力”であり、”若き日のカミュにとって、ティパサは、一つの人種あるいは民族と共有しうる地中海文化を宣揚するための特権的トポス”である。
カミュの「手帖」には、ティパサの名は1952年以降も5回現れ、42歳の時、彼は”自分が「そこで生きまたは死ぬことを望んだ場所」の筆頭にこの地を挙げている”。
”1939年、カミュは「アルジェ・レピュブリカン」紙の記者として、カビリア地方における住民たちの悲惨な状況を伝える報道記事を書き、植民政策の不正を告発した。…また1956年、彼はアルジェで「市民休戦」を呼びかけた。アルジェリアの悲劇を彼は身を以て理解していた。しかしながら、それにもかかわらず、いやむしろそれゆえにこそ、彼は青春のシンボルであるティパサを、歴史の動乱をこえた位置に置くことを願ったのである。”
テロ…アルジェリア、そしてチパサ。一人の人間が、歴史を如何に生きたか、個の資質と時代との避けられない葛藤。そしてその間隙に生み落された「チパサでの結婚」のあまりにもかぐわしい夢の匂い。
(” ”の部分は三野博司氏の文からの引用)

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カミュとの再会

隔月のたこぶね読書会で、今年はカミュの『異邦人』と『ペスト』に再会した。カミュを読んだのは何十年も昔の学生時代だった。自分も年を重ね、時代も変わって、同じ作家の作品を読むことの面白さを知った。そのことを書いてみたいと思ったが、初めにとても新鮮に読み直した彼の『結婚』の一部を引用したくなる。この”結婚”は生命と大地との、生命とこの地上との結婚を意味している。以下は「チパサでの結婚」からの気ままな引用です。

チパサでの結婚    訳・高畠正明

春になると、チパサには神々が住み、そして神々は,陽光やアブサントの匂いのなかで語っている。
海は銀の鎧を着、空はどぎついほど青く、廃墟は花におおわれ、光は積み重なった石のなかで煮えたぎる。ある時刻になると、野原は陽の光で黒ずむ。目は、睫毛の先でふるえる光と色彩の雫のほかに、何かをとらえようとするが無駄なのだ。まろやかな香りを放つ草花のおびただしい匂いが喉を刺激し、巨大な熱気のなかで息づまるようだ。遠景に、シュヌーアの黒々とした影の広がりを、ぼくは辛うじて望むことができる。それは村を囲む丘陵に根を下ろし、確実な、圧するようなリズムで揺れ動き、海のなかにまさにかがみこまんばかりだ。……
港の左手では、乾いた石の階段が,乳香やエニシダに包まれた廃墟に通じている。その道は小さな燈台の前を通り、やがて野原のまっただなかに沈んでゆく。……
少し歩くとアブサントがぼくらの喉をとらえる。その灰色の毛は見渡すかぎり廃墟をおおっている。そのエキスが熱気で醗酵し、大地から太陽に,あたり一面、強いアルコールが立ちのぼる。そしてそれが大空をゆらめかす。ぼくらは恋と欲情との邂逅を求めて歩いてゆく。ぼくらは教訓も、偉大さに人が求める苦い哲学も、求めはしない。太陽と接吻と野生の香りのほかには、一切がぼくらには空しく思える。……ここではぼくは、秩序や節度は他の人々にまかせておこう。ぼくの全身を奪い去るのは、自然と海のあの偉大な放縦だ。この廃墟と春との結婚で、廃墟はふたたび石と化し、人間の手が加えた光沢を失って自然に還ってしまった。……

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セゾン現代美術館(辻井喬 オマージュ展)

11月24日、軽井沢のセゾン現代美術館を訪れ、《堤清二/辻井喬 オマージュ展》を見た。
その日が会期の最後の日だった。
美術館は葉を落した木立に囲まれ、会場はゆったりした清楚な雰囲気で、シーズンオフ
の避暑地らしく、客も少なかったが、その分ゆっくりとマイペースで豊かな空間を味わうことができた。クレー、ミロ、エルンスト、マン・レイなどにはじまり、イヴ・クライン、マーク・ロコス、サム・フランシスなどの現代美術を経て、荒川修作、中西夏之、宇佐美圭司、加納光於などの日本の画家の大作も数多く見られた。
しかし私がもっとも心奪われたのは、辻井氏の自筆原稿や、数えきれないほどの著作物
(詩集や文学作品などを中心とする)、そして南麻布の書斎を復元したという空間におか
れた彼のデスクであった。愛用されたと思われるそのデスクには、いくつかの傷跡なども
見てとれ、創作に費やされた詩人の孤独な時間とその営為が語られていた。
「二つの行為(経営と詩を作ること)は本来矛盾するべきものではなく、それが矛盾して
感じられるところに、時代の様相がある」という彼の言葉が引用されている。
そうなのだろうか?
一人の人間が自己の運命を生き切ること、そして表現し続けることとは?
深い感慨を与えられた一日だった。

翌日は冷たい雨だった。濡れていくホテルの中庭の木立を見ながら、一つの星がふいに
消え去った後の空白感に包まれた。

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小母たちの谷底そのむかし 日嘉まり子

雨の降る昨夜、サボテンの花が開き、一年ぶりなので、懐中電灯をもって、何回もバルコニーへのぞきに行った。小雨に濡れた妖しい白い花。直径10数センチある。
今日はもうしぼんだ花が雨に濡れている。
誰も見なくても、気付かれなくても、花はひとりでやるべきことをやっている…と変な
ことに感心する。
あの世の人たちも、この世で生き切れなかった自身の一日を、今も物語の続きのように、
この世のさまざまの形を借りて、私たちに見せようとしているのかもしれない。不透明で、それ故に魅力に満ちたこの世界のありようを、巫女のように、語り続ける、日嘉まり子さんの神話世界、想像力のこだまが行き交う語りの魅力に引き込まれている。
(6)から(9)までの小母たちの谷底の物語がこの号で展開されている。

 小母たちの谷底そのむかし(6)      揺蘭ーYOURANー2014より

日嘉まり子

亡くなった叔母たちは、風が湿り気を帯び静かに尾を引く日などには女人の体を借りて
この世に現れることがある。
ある時は商店の軒先で、山菜や餅や油で揚げた沢蟹をたくましく商っているのだった。
通りすがりに聞こえてくる会話の中の、最も耳に残る言葉がこだまする時、我々はどの
ようなつながりがあったのかがようやく判明することがある。
先行きはどうなってゆくのかを自分に引きつけて占うと言うこともある。
「静子さん」などと言う共通の知り合いの名前がふっと口に上って、郷愁のような同名
の叔母の姿が、女人の中に匂い立つように現れることがあっても驚いてはいけない。
細長く美しい草の葉の影のような声の叔母の、短かった生涯が流れおちてゆく滝の果て
の先まで、誰かが見送って行かなければ,口惜しさを残して旅だった何人もの小母たち
は何度も姿を現さなければならないだろう。
蝶やカゲロウや虹や、鏡の中の私たちの姿をして。

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金色の午後のこと 稲葉真弓

今日はほんとに文句ない五月晴れだ。バルコニーではノカンゾウのつぼみがいっせいに膨らみ、鉢植えのエニシダの黄色がそよ風に揺れ、チャイブがピンクの花ばなを咲かせている(いつか朝のオムレツに入れてみたいと思いながら、まだ試してはいないけれど)。
こんな日にこそふさわしい稲葉真弓さんの詩がある。

 金色の午後のこと        稲葉真弓

ほんとうに生きたのは
たった一日だったのかもしれない
人生は流星のようだ
ぽかんと口を開いていた午睡のときにも
ときは均一に流れていて
ああ なんてのんきだったんだろうと思っても
もう遅い あの幸福な午後
かといって午睡以外になにができただろう
半島の庭のスズメたちの優しいついばみに魅入る目が
いつしか眠りに誘われたからといって
浜尾さんちのクレソンが一気に伸びた朝も
ビニールハウスのなかにときは流れ
窓辺にメジロの素早い飛翔が見えた朝も
翼はときの重力を必死にかきまぜていたのだ
もういちど生まれなおして
ほんとうに生きることについて
生きた時間について
あるいはいま生きていることの喜びや
この目の豊かなスクリーンに映されているものを
ていねいに包み直して
だれかに差し出すことはできるだろうか
なにもかも忘れていく
宿命のような人生のなかで
「いま」という ひかりの一筋をうけとること
包み直すことは
ああ あの午睡もまた
ひとつの金色のひかりだったのだと
いまは少し分かる気がするのだが……
スズメと大地を照らしていた 薄いひかりの筋だって
少しは見える気がするのだけれど……
あの幸福について
だれかと話すため いまいちど
すべり台の下の午後へと降りて行こう

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それぞれの人にとって、降りていきたい午後はどこに?
ひかりの薄い一筋でくるみ、この詩をだれかに送ってみたくなる。

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メノウー水の夢 稲葉真弓

稲葉真弓さんの連作・志摩『ひかりへの旅』にはいくつも好きな詩がある。
読書会で最近読んだ『半島へ』の風景を思い出しながら、もう一度心の中で
岬への旅をした。

メノウー水の夢       稲葉真弓

酸性の雨のふる 降り続ける惑星に生きて五十年
濡れそぼった日々の記憶に
一本の傘が揺らぐ
「わたしたちも いつか 溶けていくのかしら
そういった少女の声はもうどこにもない
残った一本の傘は 骨だけになって
小さな石のかたわらで眠っている
古い傘に寄り添うような
かわいらしい水色のメノウよ
水を求めて傘の下に
すがりつくようにして転がっている
だれも知らないのだ
その石の中に かつて太古の水が閉じ込められていたことを
白亜紀の湿った大地にも やっぱり酸性の雨がふっていたことを
金色の朝日を受けるとき
濡れた羊歯の葉裏が薄緑の刃のように光ったことを
なんどおまえと遊んだことか薄い水を揺らしたくて
閉ざされた水の色を確かめたくて
夜の電灯を消したりつけたり
耳もとで乱暴に振ってみたりもした
すると 石は鳴った かすかに
雨を吸う音さえ聞いた気がする
わたしは歩きたかった その雨のなかを恐竜や 翼竜の巨大な足で
石を踏む つめたい大地を感じたかった
やがて
お前の内側の水はひからびた
骨となった傘と一緒に
わたしの部屋の玄関は お墓みたいにしんとしている
ねえ おまえ 水色のメノウよ
恐竜と一緒に歩く昼や
遠い遠いふるさとの 何度もの滅びと新たな地層を
なきたいほどに恋うる夜がある
ーわたしのふるさと
水を閉じ込めたこの惑星の
降り続ける雨の下で

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先日、みんなと賢治の「貝の火」を読んだ。貝の火にはオパールの美しさが、よく描かれているという。堀 秀道著の『楽しい鉱物学』を読むと、以下のような解説がある。
《昔、浅い海、または湖の底に貝が住んでいた。やがて水が退いて陸地となり、死んだ貝の上に砂が積もっていった。そして貝をふくむ地層は地面の下深く沈んでいた。地表は乾燥して砂漠化したが、地下には豊かな水の層がある。
この熱い地下水により、貝は溶かされていく。水の中にすでにたくさん溶け込んでいた
珪酸分が自然のバランス作用で、貝の中に遊離され、もとは石灰質だった貝が珪酸質の貝に生まれ替わった。その後の地殻変動でこの地層が再び地表に持ち上がってきた。
かつての砂は固まって砂岩となり、その中にオパールになった貝がはさまっている。
珪酸と水を取り入れてオパールになった二枚貝は、外観にはまだ生物だった面影を留めているが、縁の欠けたところから内部をのぞきこむと、宝石の風景が見えてくる。》と。
本には巻貝の化石からできたオパールの写真が載っていて、ふしぎな美しさがある。
賢治は石が好きで鉱物マニアだといわれている。この解説を読むと、小さな鉱物のなかに閉じ込められた宇宙時間の結晶をいまさらのように感じる。
稲葉さんの詩の中で、「わたしは歩きたかった その雨の中を/ 恐竜や翼竜の巨大な足で/ 石を踏む つめたい大地を感じたかった  という連から、私は賢治の小岩井農場の《ユリア ペムペル…わたくしの遠いともだちよ わたくしはずいぶんしばらくぶりで きみたちの巨きなまっ白なすあしを見た》の連を思い浮かべた。
大地を踏む大きなすあしと、小さなメノウのなかで鳴る水を聞く耳のことを想った。

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少年

送られてきた詩誌『アンドレ』10には詩のほかに、詩人論(黒部節子 6)、評論「詩とは何か」「詩(私)的現代」などが載っていて、いずれも興味深く、一気に拝読しました。1998年創刊以後、
16年で、これが10号目である由、おめでとう!と申し上げたい気分です。これは宇佐美幸二さんの個人誌です。私もこのところ一年に一冊くらいのペースで、同人詩『二兎』を出しています。特集のテーマによって、そのたびに未知の領域にいささかの冒険を試みることができ、自己啓発?できるのが、楽しみです。今、5号『象を撫でる』の編集中です。
さて『アンドレ』から、心ひかれた作品「少年」を載せたいと思います。

    少年         宇佐美幸二

気配がした
トンボが羽をたたんで
車のハッチバックドアの溝あたりに止まっていた
ハグロトンボらしい
ぼくを横目で見ているように静止している
なにか言いたいの?
警戒する様子も見せず
たしかにこちらを窺っているのだ
かまっている暇はないので ドアをあけたまま
人に会いに出かけた
もどってみるとトンボの姿はなかった
あれは誰だったのだろう?
もう十一月になろうとするこんな季節に
山近い ひっそりとしたこの地で誰が
ぼくに会いに来たのだろう
そういえば今日は雨が降ったあとの
どんよりとした空気は
この世の構図がすこしばかり歪んでしまったようだ
ぼくはきっと
どこかに置きざりにされているに違いない
時間もなにもないこの世界の
ちいさく鈴の鳴る底のほうで

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さりげなく書かれているような、このある日の少年の見た風景。ちいさなトンボと少年の間にきらめいた一瞬の時間。少年だからこそ抱きうる、はるかな時間へのあこがれが、消えていくトンボの上に投げかけられ、特別な一刻をきらめかしている。”この世の構図が少しばかり歪んでしまったような一刻”
ひとり置きざりにされた…時間。でもそこはこの世から外れた音のない世界、ではなく、” ちいさく鈴の鳴るこの世界の底”だった。
大人たちが失った、でも、いつかは聴いたことのある鈴の音が詩人の耳の底には、残響のようにひびいている。
もうひとつの詩作品「妖精の悲劇」にもこの世界に同化しきれず、夢幻の中をさまよっているような異世界の存在とのふれあい方が描かれ、そのような「気配」としてのものたちの近くにこそ、この詩人の詩的居場所が置かれていることに気づきます。
現代に巻き込まれている人間としての、こわばった自意識がゆるむと、自分も、かつてはたくさんのちいさな気配のただなかをさまよっていたたことに気が付きます。

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新川和江詩集『ブック・エンド』より

新川和江詩集『ブック・エンド』には、心惹かれる詩が多く、宇宙的な時の流れと、その時間をつかのまよぎっていく生きものの時間との接点に、しばし立ち止まっている自分がいた。

    黒馬            新川和江

ベッド・サイドに
あの黒馬が来ている
目をあけなくても
濡れたたてがみから滴るしずくが
額に冷たくかかるので
それとわかる
あの日
やわらかな草地に二人を降ろして
湿原にはいって行き
ついに戻って来なかった黒馬
湿原には谷地眼(やちまなこ)といって
ワタスゲやミズゴケに蔽われ
薄眼をあけて空を見上げているような沼が
其処此処にあり
夏季でも零度に近い水温が
底深く嵌ってしまった動植物を
生きたままの姿で永久に保存するという
とすれば黒馬の
濡れた睫毛のかげのあの眼球には
最後に映した二人の姿が
あの日のままに焼きつけられて いるのかも
消息も聞かなくなって久しいが
あのひとの眠りの中にも
馬は時折おとずれるのであろうか
北国のみじかい春
草地に坐って二人は何を語り合ったか
今はもう 昔詠んだラヴ・ロマンスか
映画の中の一齣のようにしか 思い出せない
眠りの中に
ふと現れることがある黒馬だけが
つややかに若い駿馬のままで

””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””
谷地眼のところは、原文はルビですが、( )にしてしまいすみません。
眠りの中にふと現れる、つややかに若い駿馬…それこそ、時が詩人に再び与えてくれるひそかな贈り物かもしれない。人はだれでも、あるとき、つややかな駿馬を野に放ったことがあるのだから。
谷地眼という湿原の沼が”夏季でも零度に近い水温”で、”底深く嵌ってしまった動植物”を”生きたままの姿で永久に保存する”という、沼と、黒馬の眼に沈む、時の結晶化、そのアレゴリーのたくみ。
私の夢のかたわらにも、いつかそんな黒馬が来てくれるといい。来るならば、馬はやっぱり黒馬でなければ…。

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堀辰雄展

昨日、堀辰雄展を見に、鎌倉文学館を訪ねた。没後60年を迎えたとのこと。
彼は昭和13年に鎌倉で結核療養し、翌年から一年ほど、鎌倉の小町で新婚生活を送り、完成まで7年かけた「菜穂子」の構想も鎌倉の地で立てたという。
私もこのところ少し遠ざかっていたが、若いころは堀辰雄が好きでよく読んでいた。
肌に信州の風を感じるような、日本的湿潤さのない、澄んだ文体のもたらす雰囲気に惹かれていた。死の影が感じられるような、薄明の暗さを持つ「風立ちぬ」「菜穂子」なども好きだったが、むしろ大和路の散策から生まれた「浄瑠璃寺の春」、それから最後の作品「雪の上の足跡」が永く心に残っている。
特に馬酔木の花に出会うシーンは一読後、強く心に刻まれてしまい、何十年経った今も、”馬酔木”の花を見たり、思い出したりすると、堀辰雄のこの文章を思い出すのは不思議だ。
春、”浄瑠璃寺の小さな門のかたわらに、ちょうど今を盛りと咲いていた一本の馬酔木”…。
馬酔木には、”あしび、と振り仮名がついていて、それまで私は”あせび”と呼んでいたので、いっそう印象に残ったのかもしれない。
つづけて彼は、その門の奥に”この世ならぬ美しい色をした鳥の翼のようなもの”が目に入り、足を止めると、それが浄瑠璃寺の塔の錆びついた九輪だった、と書いている。
かつて一人で訪れた九体寺への旅を思い出しながら、今度は馬酔木の咲くころにここを訪れてみたいと、思った。
展覧会には神西清との文通はがきや、芥川龍之介や小林秀雄の原稿など、丁寧に展示されていて、あまり客のいない会場を出てから、「大和路・信濃路」「菜穂子」を売店で買って、庭の薔薇園を見に行った。夏の名残の薔薇という感じが、展覧会の雰囲気とも合っていた。
紺碧の海を望み、庭園には椎の実(ブナの実?)が一面に散らばっていて、その2粒をお土産にポケットに入れて帰ってきた。

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