• 定期バスに乗って
  • 関 富士子
  • 頬を揺さぶるエンジン
  • ぐらぐら舌を噛むから
  • 吊り輪につかまらず
  • 久方の斑尾の水茎の玉の緒の
  • 長い少女紀の紐にぶらさがる
  •  「渡り舟場」から乗車
  • 善良なクミコと別れる
  • またあしたね飼い殺しの教室
  • さようなら白日の夢想は沈む
  • 運転手は寡黙な小男で
  • 大ハンドルをちからいっぱい
  • 蓬莱橋から向きを変える
  • いつもすわる最前列の席が空いている
  • おもおもしく喘ぐモーター音を聴くのだ
  • 大画面のようなフロントガラスに
  •  「小手神森」で乗る人が映る
  • スチームをいっぱいにきかせている
  • まごころは届かないと知った
  • カズコさんは大熊という男と結婚する
  • こころから祝福しなければ熊
  • のような大男に犯されるのだ
  • ふふん樅の木の整列の向こうに
  • 月がのぼってくる
  •   「野城」で川と離れるとき
  • ふり返る目測二十メートルの対岸
  • 天使みたいきみの笑顔なんて笑わせる
  • マコに首ったけの男が乗っている
  •     「立子山」十八時三十三分通過
  • 笑いころげていよう知らんふりで
  • 窓のガラスに結露がいっぱい
  • 内側からワイパーをかけたい
  • じゃあびしょぬれのあんたの睫毛も
  • もちこたえられず斜めに流れる
  • 窓をふいた手袋は金気くさい
  • 「千貫森」上空で月がホバリングしている
  • すぐしなびるバルーン
  • さいかちの木にくっついた
  •   終点「浪江」から先は海である
  • 幅広ライトバンが徐行するうち
  • 乗客皆に深深とお辞儀する人
  • 助辞・接辞は膠着語の文法上のカンケイを
  • アルタイ語とは日本語および蒙古語および
  •    「小倉寺」で先生は降りていった
  • 連山がせりあがってくろずむ
  • 車掌は影のような青髭の男で
  • 鋏をかちかち噛ませている
  • おおきながまぐちをぱくりと開く
  • ふとい指でちいさな切符をまさぐる
  • 夕暮れのスクリーンが縁から曇るので
  • 運転手は白手袋で点呼する
  •    「青木平」の分かれ道
  • ガソリンが漏れている
  • ミズエの手紙を燃やそう
  • 虹いろのぬかるみにマッチを落として
  • 瞼の膨れた妹が届けに来る
  • でも彼女はにこりともしない
  • 修羅とかオニとか書いてある
  • 感情はぬり絵ではない
  • 硝酸塩みたいにあぶなく爆ぜる
  •   「宮の脇」で途中下車だ
  • まえ後ろにがくがく揺れている頭
  • 収税課にお勤めのマチコさんはきっかり
  •    「十二社」まで眠りこける
  • いまはすっかり無防備である
  •    「御所車」の桃は闇でも見える
  • 人生は疎ましい故買屋に値踏みされている
  • 艱難をシンキングせよ汝はタマだ
  • トモヨは〈谷間の百合〉を
  • ついに読み終えた
  • ためいきとともにささやく
  •  「芦ガ作」の待合所に前を
  • ひろげている男がいるって
  • あたしたちが見るのを待っているの
  • みず知らずのまっさらな目が欲しいの
  • 列車通学組がとうに駅へ着くころ
  • 古い皮をかぶったくさいバスが
  • ざんもち坂の急カーブにさしかかる
  • 斜め前をつぎつぎに横切る影たち
  • 時間系はランダムに跳ねているのだっけ
  • 鞄のなかをかきまわす
  •  「遠西」が近づいている
  • (三井喬子個人詩誌「部分」7掲載 1999年4月)