独弦哀歌

蒲原有明




哀調の譯者に獻ず






一、この小册子に蒐めたる詩稿は曾て「太陽」「明星」其他二三の雜誌に載せて公にしたるものなり、ここに或は數句或は數節改刪して出せり。
一、諸篇中「小鳥」「星眸」等の如きは最も舊く、其他多くは一昨年の秋このかたの作なり。ただ「靈鳥の歌」のみ未だ公にせざりしものこれを最近の作となす。
一、詩形に就ては多少の考慮を費せり、されどこれを以て故らに異を樹てむとするにはあらず。
一、表紙及挿畫は友人山下幽香氏の手を煩したり。
明治卅六年四月
著者しるす

獨絃哀歌

 (十五首)
附載三首

一


道なき低き林のながきかげに
君さまよひの歌こそなほ響かめ、――
歌ふは胸の火高く燃ゆるがため、
迷ふは世の途(みち)倦みて行くによるか。
星影(ほしかげ)夜天(やてん)の宿(しゆく)にかがやけども
時劫(じごふ)の激浪(おほなみ)刻む柱見えず、
ましてや靡(しな)へ起き伏す靈(れい)の野のべ
沁(し)み入るさびしさいかで人傳へむ。

君今いのちのかよひ路(ぢ)馳せゆくとき
夕影(ゆふかげ)たちまち動き涙涸れて、
短かき生(せい)の泉は盡き去るとも、
はたして何をか誇り知りきとなす。
聖なるめぐみにたよるそれならずば
胸の火歌聲(うたごゑ)ともにあだならまし。

二


こころの糧(かて)をわがとる菜園(さいゑん)こそ
榮(はえ)なき思ひ日毎(ひごと)に耕すなれ。
ある時ひくき緑はここに燃えて
身はまた夢見ごこちにわづらふとも
時には恐怖(おそれ)に沈むかなしき界(よ)の
地獄の大風(おほかぜ)強く吹きすさみて、
ここにぞ生ふる命の葉は皆枯れ、
歡樂(よろこび)冀願(ねがひ)もあだに消え去るとも、
ああただかの花草や、(羽(はね)なくして
ささやく鳩にも似るか、)そのにほひに
涸れにし泉ふたたび流れ灌(そそ)ぎ、
ああまた荒れにし土の豐かなる時、
盡きせぬ愛の花草讃めたたへて
聖菜園のつとめに獨りゆかむ。

三


黄金の朝明(あさあけ)こそはおもしろけれ、
狹霧に匂ひてさらばさきぬべきか。
嘆かじ、ひとり立てどもわが爲めいま
おもふに光ぞ照らす、さにあらずや。
嘆かじ、秋にのこりて立ちたれども、
小徑(こみち)を、(さなり薔薇のこの通ひ路、)
世にまた戀にゆめみるものの二人、――
嗚呼今靜かにさらばさきぬべきか。

少女は清き涙に手さへ顫(ふる)へ、
をのこは遠きわかれを惜みなげく、
あまりに痛きささやき霜に似たり。
かたみのこれよ花かと摘まれむとき
音(おと)なく色に映(うつ)るもわりなきかな、
二人を知らで過ぎ行く、――將た嘆かじ。

四


別離(わかれ)といふに微笑(ほほゑ)む君がゑまひ、
わかるるせめての際(きは)にそは何ゆゑ。
にほへる面(おも)わの罪か、世も、ねがひも、
希望(のぞみ)も、かつてかがやくその光に、
眼(め)のいろ澄める深淵(ふかぶち)その流に、
華(はな)やぐ聲(こわ)ねのあやに、――かつて頼(たよ)る
わが身のその幸(さち)限りあらざりしを、
ああなど君がゑまひに罪あるべき。

白日(はくじつ)薔薇(さうび)の花に射かへすとき、
亂るる影さへもなく紅なる
色こそ君が面わに照り映(は)ゆらめ。
げにはた常住(とは)のゑまひや、嫉き花の
榮あるたはぶれとしもおもひ消して、
さらばよ戀の花園、さらばよ君。

五


靜かに今見よ、園の白壁(しらかべ)にぞ
楊(やなぎ)の一つ樹枝(こえだ)の影映(うつ)れる。
その影忽ち滅えぬ、――かの蒼波(あをなみ)
かくこそ海原闇き底に潜(ひそ)め、
影また漸く明(あか)り射(さ)す光の
眩(まばゆ)く白く纒ふをながめいれば、
かつ墮(お)ちかつ浮び來るそのきそひに
滿ちまた涸れゆくこころ禁(とど)めかねつ。

運命深き轍(わだち)の痕(あと)傳へて
見えざる車響けば、宴樂(うたげ)にほひ、
歌聲輟(や)むも束の間、おもへばげに
こは世に痛き鞭笞(しもと)や壁なるかげ――
むちうて、汝(いまし)虚(むな)しく見えなせども
花園榮なき日にもこは無窮(とこしへ)

六


冀願(ねがひ)は強きちからにあげられつゝ
隙(ひま)なき吐息(といき)にきざすそのおもひも、
知らずや、はじめはこの世荒野のそと、
やすみのかげにこぼれしかなしき種子。
その種子きのふ描(ゑが)きし夢をゆめみ、
今日しも燃ゆる火とこそ生ひたちけれ、
祕めしは深き焔の生(せい)なりしか、
誰かはもとのこころを知りつくさむ。

花草かくて生ひたち匂ひなせば、
ああまたたはぶれの鳥何日しか棲(す)み、
花の芽ぬきて飛びゆく、――戀かいまし、
いとよき幸(さち)のみはやく啄(つ)み去る時
胸には殘る面かげ、――消しがたきは
唇顫(ふる)へて、たへぬ眼のうるほひ。

七


よきしほ流れてゆきて歸り來(こ)ねば、
むなしき行方(ゆくへ)見やるもかひなからむ、――
戀する二人(ふたり)が胸こそただ浪だて、
占問(うらど)ひささやくやすみ世にまたなし。
手に手をその後くます夕(ゆふべ)來(く)とも、
しのべる命さみしき香のみこめて、
言はむの彼はおもひを洩らしにくく
聽かむのこれは冀願(ねがひ)をはや忌ままし。

天(あめ)の座(ざ)白き光のめぐれる日に
ここには物みな墜(お)つる跡(あと)ぞ暗き、――
戀せし二人が一人、嗚呼(ああ)そのまま
孰(いづ)れか缺(か)けゆく悔(くい)のあわだつとき、
沈むは瑪瑙(めなう)の、瑠璃の戀の小壺、
鎖(とざ)すは闇よ、――永遠(とは)なる大海原。

八


わが胸(むね)池水(いけみづ)湛(たた)へ、時(とき)としては
精魂(たましひ)ここに紅蓮(ぐれん)の華とぞ生(お)ふ、
しのびに君よ、この岸かの水際(みぎは)に
幻影(まぼろし)ふかき生命(いのち)の香をたづねよ。
この時(とき)音(おと)も幽(かす)かに大蓮華(だいれんぐわ)の
蕾の夢さめ、人をなつかしみて
『かなたへ、君よ南へ、緑の國、
情の日の彩(あや)饒(おほ)き空の下へ。』――

聲音(こわね)もかくいと熱く誘(さそ)ひなせば、
君はたせめていなまじ――『さらば彼處(かしこ)、
※(「陷のつくり+炎」、第3水準1-87-64)(ほのほ)の愛のこころの故里へぞ。』――
ふたたび、嗚呼また三度語るを聽け、
『樂園涅槃(ねはん)の土のにほふところ
歡樂(よろこび)盡きぬ種子(たね)こそ常花(とこはな)發(ひら)け。』

九


草やま草葉(くさば)みどりに匂ひ靡(なび)き、
かがやく日ざしおほひて、絶間なくも
靜かに夢見うかるる身にし添へば、
ああわがこの身さながら空しき影。
空しきかげやわが身のこころのそこ、
光に融けゆくおもひいと樂しく
ねむりの界(よ)より歸れる途(みち)すがらに、
片ゑみさもなつかしき花を得たり。

わが日よ、高羽(たかは)焔にめぐり搏(う)ちね、
草山ひとつ縁の渾沌(はじめ)よりぞ
見よ今剖(わか)れし姿幸(さち)あらずや、
蘂(しべ)の香(か)親(した)しみふかき花よ――少女、
ゆらめく胸に抱けば、こはわが世の
いかなる戀か、嗚呼またわれは夢む。



遽(には)かにわが身變(かは)りぬ、否さらずば
聲なき歡樂(よろこび)手をば高くあげて、
『見よこの過ぎ行く影を、いざ』と指(さ)すか、
遷轉(せんてん)無窮(むきゆう)の夢ぞ卷きて披(ひら)く。
流るるこの甃石(いしだたみ)、都大路、
酒の香、衣(きね)の色(いろ)彩(あや)みだれうかぶ、――
あやしや此處にもしばし彼の自然(しぜん)の
高嶺(たかね)の、大野(おほの)の力こもりぬらし。

嗚呼喧噪(けんさう)の巷も今し見れば、
往きかふ人影(ひとかげ)淡き光帶びて
あかつき朝日纒へる雲に似たり。
※(「藹」の「言」に代えて「月」、第3水準1-91-26)(らふ)たき人よ、この時かしこを君、
極熱(ごくねつ)豐麗(ほうれい)の土(つち)しばし抽(ぬ)きて
花草匂ふがごとく君も過ぎぬ。

十一


爭鬩(あらそひ)絶間なき世の海のほとり
をぐらき幕(とばり)はおちぬ、いかにかせむ。
潮(うしほ)は寂しく沈み、濤は暮れて、
櫓(ろ)の音今こそ朽ちめ、嗚呼わが日の
生命(いのち)の榮(はえ)よなやみよ逝き果つるや、
つひにはこの身の罪の淨めがたく
回憶(おもひで)しげき荊棘(いばら)の途(みち)に下(くだ)り、
常闇(とこやみ)つきぬ苛責(せめ)にやさまよふべき。

頼(たよ)るは、頼るは愛よ、君によりて
僅かに過ぎ來(こ)し片野路(かたのぢ)、荒磯べの
はかなき生(せい)の旅人幸(さち)やしばし、
希望(のぞみ)の瑞木(みづき)彩(あや)生(お)ふ蔭に入りき。――
夢かは、現(うつ)し狹霧(さぎり)のこの世去らば
かの空かがやききそふ君が光。

十二


その時わが身はここに、此處(ここ)は星の
幾重かめぐれる途(みち)の外(ほか)なるべき。
實(げ)にそが黄金環(こがねわ)劃(かぎ)る虚空(みそら)のみち
いつしか踰えこそ來つれ、(かく夢みて
夕暮ひとりまどへり)おふけなくも
胸には人の世さわぐ浪のおとの
仍(なほ)かのゆらぎ傳へて、身にははやく
眞白き照妙魂(てるたへたま)の聖なる衣(きぬ)。

頼(たよ)るは、頼るは愛よ、君によりて
地(つち)なる愁を去らむ、彼處(かしこ)にては
僅かに夢に見えつるその信(まこと)を
眩(まばゆ)きけふぞ天(あめ)にて解き知るなる、――
見よここ永生(えいせい)の脈(みやく)精氣(せいき)みちて
時劫(じごふ)のすすみ老いせぬ愛の常(と)かげ。

十三


何ゆゑ泣きし涙と今また問ふ、――
知れりや汝(なれ)よ、かつては世のくらさに
萎(しを)れしにほひの夢よ、――ありしその日
短かき歡樂(よろこび)あかぬ契(ちぎり)のすゑ。
零(お)ちたる影や紀念(かたみ)の花小草(はなをぐさ)よ、
回憶(おもひで)――そはいと深き林なれば、
黒羽(くろは)の懊惱(なやみ)さまよふ彼の日にわが
汝(な)が身のうへにかけにし涙のそれ。

さこそは、さこそは愁(つら)き露なりけめ、
涙や、しほや、――さはあれ高き愛の
涓滴(したたり)それぞと汝(なれ)もたのみけむか。――
小草よ花よ、今日こそたたへまつれ、
わびしき暗とかげとのへだて脱(お)ちて
この岸光あふるる天(あめ)の泉。

十四


運命彼(かれ)をしも今とらへなせば
苦惱(なやみ)と畏怖(おそれ)の双輪(もろわ)たかく響く、
運命また彼をしも弄べば
嫉妬(ねたみ)の影の痛(いた)みぞ癒えがたきや。
人の世短かき生(せい)の旅やどりに
踏みゆく途(みち)ぞ荒野の草(くさ)身(み)を刺(さ)し、
誘惑(まどはし)ここに棲(す)めば、あぢきなくも
泯滅(ほろび)の犧牲(にへ)とも知らで迷ひいるか。

『祈れよわが手下さむ。』ただこれのみ――
死はこれ運命の手か誰か知らむ、
(嗚呼聽く祈祷(いのり)の聲よ)世は闇(やみ)なる。
罪知る夕(ゆふべ)よここに惑へる身の
衷(うち)なる靈(たま)の疾風(あらし)の行方(ゆくへ)いづこ、
命(いのち)の火もまた滅(ほろ)ぶ彼やいかに。

十五

(藤島武二氏筆)

徂(ゆ)きしは千載(ちとせ)か、塵(ちり)か、わが手弱女(たをやめ)、
眼(まな)ざしふかくにほふは何のさがぞ、
世はまた日に歸り來て、しづけささめ、
常久(とこひさ)君が華にぞあくがれよる。
束の間虚空(そら)にめぐりて疾風(はやち)羽(は)搏(う)つ
嗚呼その隙にしも人滅ぶといふ、――
傷(いた)みそ、彈(ひ)くに妙音(よきね)の浪(なみ)白銀(しろがね)
傳ふる君が命(いのち)は窮りなし。

いざ君かなでよ箜篌(くごう)、――青水沼(あをみぬま)も
高草村(たかくさむら)も、げにこれ新大路(にひおほぢ)や、――
頑鑛(あらがね)もまた藝術(たくみ)、慈相(じさう)のかげ、
豪華(さかえ)や禮讃(らいさん)や、はた、戀や、歌や、――
そは皆君が手にこそ、桐若樹(きりわかぎ)の
むらさき夏に潤ふ律調(しらべ)の園。

    ○

(キイツ)

明星(みやうじやう)、君が節操(みさを)にわれあえなむ――
夜天(やてん)に高く寂しう懸(かか)り照らし
かきはのまぶた※(「目+爭」、第3水準1-88-85)(みひら)き、かの自然の
たゆまず寢(い)ねぬ隱者(いんじや)のその態(さま)もて、
人住む世の磯めぐり淨禮(きよめ)行(おこな)ふ
聖僧(ひじり)のわざ執(と)りすすめる海まもらひ、
將(はた)また連峰(みねみね)澤野(さはの)雪降り敷く
かの新(にひ)やはら被衣(かつぎ)瞰(み)るそれならねど、――

否、さもあれ、常(とこ)みさを常久(とこひさ)にぞ、
※(「藹」の「言」に代えて「月」、第3水準1-91-26)(らふ)たき君が熟(な)りたる胸小枕
とこしへ柔(やは)ら浪だつそれを觸れむ、
とこしへうまし惱みにこころさめて、
時より時に聽かばやそがやさ呼息、
なさけもうつつ、さてしも夢に死なむ

    ○

(ロセッティ)

何日(いつ)いと君をよく見む、わが戀人、
白日(まひる)をわが眼(め)の精(せい)の香案(つくゑ)――君が
その面(おも)、そのまのあたり、君によりて
知り來(こ)し愛の祈祷(いのり)をいつく時か、
さらずば黄昏(たそがれ)、(われらただ二人(ふたり)や、)
くちづけ密(みつ)に、ささやきよく語りて、
夕かげつつむ朧の君が姿、
わが靈(たま)君が靈(たま)のみ目戍(まも)るときか。

嗚呼君わが戀、これよりながく見ずば
汝(な)が身を、地(つち)にはおつる影もたえて、
泉にやどす眼(まな)ざしそれもなくば、――
いかにか響くわが生(よ)の夕山(ゆふやま)もと
希望(のぞみ)の墜葉(おちば)滅ぶる陸(くが)うづしほ、
滅びもはてぬ死の翼(はね)羽(は)搏(う)つ疾風(あらし)。

    ○

(ロセッティ)

あだなる冀願(ねがひ)、あだなる悔とつひに
手をとり死にゆきて皆あだなる時、
忘るる間なき苦痛(いたみ)を何なぐさめ、
忘られがたきをなどか忘れしめむ。
平和(やすき)はなほ合(あ)ひがたきかくれ水か、
精魂(たましひ)さらずば直(ただ)に緑野(みどりの)のべ、
命(いのち)の甘き泉のしぶきがもと
露(つゆ)浸(し)む華の護符(まもり)を拔(ぬ)きえましや。

嗚呼わが畏(かし)こむ靈(たま)の、黄金(こがね)み空
聖經(せいきやう)蘂(しべ)にひもどく花の間(かひ)に
常世(とこよ)のみめぐみひそみ窺(うかが)ふとき、
嗚呼はたあだし密偈(みつげ)のあらずもがな、
唯かの一つ「希望(のぞみ)」の名だにあらば、――
ただその言(こと)の葉(は)のみぞ、さば足りなむ。


鑿(のみ)の手あらば鑿を執(と)り力をこめよ、
絃(いと)の音(ね)知らば絃を彈(ひ)けかし。
ああさは問ひそ、
   『何處より來しかの鳥』と。

昨日(きのふ)閃電(いなづま)雲を焚(た)き、けふ日は燃ゆれ、
ひとたび來ては巖(いはほ)を去らず。
ああまた説きそ、
   『などか飛ばざるかの鳥』と。

鳥の姿はさやかにて、緑の珠の
その種子(たね)華(はな)と發(さ)けるに似たり。
あああやしみそ、
   『世にめづらしきかの鳥』と。

鳥の瞳(ひとみ)は、一日もしあらばその日に
甦(よみがへ)り照る人の眼(め)のかげ。
あああやぶみそ、
   『何のしるしかかの鳥』と。

獨り友なく大峰(おほみね)に裝(よそほ)ひうかび、
また尾羽(をは)飜(かへ)す朝(あした)もあらず。
ああゆびさしそ、
   『眠るかかくもかの鳥』と。

鳴音(なくね)は聽かず何日(いつ)かまた鳴なむ聲か、
鳥は默(もだ)してひとりし棲(す)めり。
ああ嘲りそ、
   『命絶えしかかの鳥』と。

翅はされど(誰(た)そ言へる)輝きみちて、
一夜(ひとよ)まぼろし峰をめぐれり。
ああ疑ひそ、
   『夢にも似たるかの鳥』と。

搖(ゆら)ぎを胸に覺えなばゆらぎをつつめ、
ふたたびこの世鳥は歸らじ。
ああかなしみそ、
   『何處に消えしかの鳥』と。


加賀神崎即有窟、高一十丈許、周五百二歩許、東西北通。
○所謂佐太大神之所産生處也、所産生臨時、弓箭亡坐、爾時御祖神魂命之御子、枳佐加比比賣命、願吾御子麻須羅神御子座者、所亡弓箭出來願坐、爾時角弓箭、隨水流出、爾時所産御子詔、此者非吾弓箭詔而、擲廢給、又金弓箭流出來、即待取之坐而、闇鬱窟哉詔而射通坐、即御祖支佐加比比賣命社坐此處、今人此窟邊行時、必聲※[#「石+滴のつくり」、U+25550、210-中-11]※(「石+盍」、第4水準2-82-51)而行、若密行者、神現而飄風起、行船者必覆也。
出雲風土記

こころ愁ひあれば枳佐加比比賣(きさかひひめ)
涙もいと熱くひとり迷へり、
天なる神魂(かむむすび)御祖(みおや)をしのび、
暗き潮(うしほ)めぐる海の窟(いはや)に
嘆くとき聲あり、――
  『暗きかも、暗きかも、
  嗚呼暗きかもこの窟。』

愁ひに堪へかねて枳佐加比比賣、――
『あはれすべきかな、蒼海原(あをうなばら)の
あやしき調(しらべ)奏(と)る神こそ知らめ、
失せつる生弓箭(いくゆみや)浪やかくせる。』
この時聲はまた、――
  『暗きかも、暗きかも、
  嗚呼暗きかもこの窟。』

いとも醜(みにく)き魂(たま)は浪に動き、
大海原まさにどよみわたりて、
飄風(あらし)空より落ち、雲うち亂れ、
潮(うしほ)は火の如く渚に燃えぬ。
聲はまたこの時、――
  『暗きかも、暗きかも、
  嗚呼暗きかもこの窟。』

『さはあれ、うるほへる胎(たい)の園生(そのふ)、
光の種子は裂け神の御裔(みすゑ)と
生(あ)れまさむ吾(あが)御子(みこ)益荒男(ますらを)ならば、
失せにし生弓箭のあらはれ來(こ)よ』と、
祷る時聲また、――
  『暗きかも、暗きかも、
  嗚呼暗きかもこの窟。』

海しばし靜まり、浪より浪、
沖邊より磯邊に流るる弓箭。――
祈祷(いのり)に伏し沈む枳佐加比比賣の
聖(きよ)き精(せい)の宿(やど)りこの時ひらけ、
いみじき聲高く、――
  『暗きかも、暗きかも、
  嗚呼暗きかもこの窟。』

嗚呼生れましにける佐太の御神、
猛(たけ)くかたき光は海にかがやき、
浪よりあらはれし角(つの)の弓箭の
『こはわがものならじ去(い)ねよ、』と詔(の)らす
御聲(みこゑ)はくもりなく、――
  『暗きかも、暗きかも、
  嗚呼暗きかもこの窟。』

海また平らぎて、浪より浪、
沖邊より磯邊に寄せ來る弓箭、
黄金(こがね)の裝ひかがやき流れ、
高潮(たかじほ)みだれうつ闇(やみ)に映(うつ)れど、
御聲はまたさらに、――
  『暗きかも、暗きかも、
  嗚呼暗きかもこの窟。』

嗚呼天(あめ)の御裔(みすゑ)の御子(みこ)大神(おほがみ)、
この時浪間より流れいでける
黄金(こがね)生弓(いくゆみ)たかく手握(たにぎ)り持(も)たし、
かがやく黄金御征矢(こがねみそや)弓筈(ゆはず)につがひ、
窟戸(いはやど)にたたして、――
  『暗きかも、暗きかも、
  嗚呼暗きかもこの窟。』

こころ歡びぬれば枳佐加比比賣、
吾(あが)御子(みこ)讃(ほ)むる時弓絃(ゆづる)響きて、
征矢射通(いとほ)しゆけば天(あめ)の香(か)あふれ、
大海(おほうみ)華のごと飜(ひるが)へりけり。
さて御聲(みこゑ)さはやかに、
  『光あれ荒磯邊、
  佐太大神(さだのおほかみ)われたてり。』


法吉郷、郡家正西一十四里二百卅歩神魂命御子、宇武賀比比賣命、法吉鳥化而飛度、靜坐此處、故云法吉。
出雲風土記

わが姉うぐひす、いかなれば
野を、また谷を慕ふ身と、
鳥に姿をかへにけむ、
緑(みどり)は匂ふそのつばさ。

われは永劫(とこしへ)海の精、
きのふのむつみ身にしめて、
巖群(いはむら)渚(なぎさ)おほ浪の
みだれに胸を洗はむか。

わが姉しばしふりかへり
北海(きたうみ)寒き磯を見よ、
凍(こご)えて墜(お)つる雲の下(もと)
ただあぢきなきこの恨。

われは悲愁(かなしみ)つきがたく
沙(いさご)に僵(たふ)れ嘆くとき、
深きおもひもわたづみの
とよもしにこそかくれけれ。

わがあね、鶯、ほのかなる
ほほゑみほめて、世の人は
鳴く音しらべの汝がこゑに
愁ひ痛みも忘るべし。

われは迷へる海の精、
貝の殼(から)なる片葉(かたは)もて、
きのふぞ二人(ふたり)大神(おほがみ)に
捧(さゝ)げにけるを生藥(いくぐすり)、――

わが姉、鶯、なにすとて、
大虹(おほにじ)ふかき彩(あや)に照る
殼のさかづきうちすてて、
すてて惜まぬ歌の聲。

われは今なほ海の精、
汝(な)がゆくへをば思ひやり、
巖(いはほ)にのぼり、浪にぬれ、
夜もまた晝もかなしまむ。

鶯、鶯、わが姉よ、
春に遇ひたる樹間(このま)より、
しばしは荒き遠海(とほうみ)の
昔をしのびいでよかし。

われは朽ちゆく海の精、
なげきのこゑも消ゆるまを、
いよいよ春に時めきて
汝(な)がしらべこそ清からめ。


黄なる小草とみだれあひ、
紫蘇の葉枯るる色見れば、
なぞも野みちにたたずまれ、
かばかり胸の悲しきや。

わかれし人の面影の
ここにもうつるわりなさか、
それにもあらでかかる日に
かかる野みちのいたましき。

黄なる小草と、紫蘇の葉と、
この日この野に枯れみだれ、
日は秋に伏す路遠く
いづこより曳く愁なるらむ。


『みだれてくらき深海(ふかうみ)の
底にねむりし身もこよひ、』――
眞珠(しんじゆ)小百合(さゆり)の唇に
はじめてふれて、
   『君を戀ふ』と。

産(う)めどもふかく沈めつる
海はしんじゆの母なれど、
母をも棄ててこの園に
ああまた何ぞ、
   『君を戀ふ』と。

小百合は知るや、慕ひよる
眼(め)ざしは天(あめ)にふさへども、
胸にはゆらぐ海の音(おと)の
うれひやいとど
   『君を戀ふ』と。

あふれて月は雲に入り、
雲は光にとくるとき、
小百合の園の香(か)に映(は)えて
影ゆめふかげ、
   『君を戀ふ』と。

しんじゆの清き身ならずば
小百合なにかはくちづけの
あまきにほひもまじへじを、
さてもせつなげ、
   『君を戀ふ』と。

夜はひとやのやみならで
今宵(こよひ)月照る戀の園、
やすらひの戸もかげやけど、
きかずやあはれ、
   『君を戀ふ』と。

嗚呼沈みしも海のそこ、
戀ふるも深きこころには、
小百合なさけのくちづけも
あさきやさらに、
   『君を戀ふ』と。

戀の火焚けば雲もはた
濤もひとつの火のいぶき
光の干潟(ひがた)、――月もまた
わづらへどなほ、
   『君を戀ふ』と。

『※(「陷のつくり+炎」、第3水準1-87-64)ながれて戀にゆき、
おもひはもゆる身ぞこよひ、』――
眞珠小百合の花びらの
口にくちづけ、
   『君を戀ふ』と。


埋もれし去歳(こぞ)の樹果(このみ)の
その種子(たね)のせまき夢にも、
いかならむ呼息(いき)はかよひて
觸れやすき思ひに寤(さ)むる。

さめよ種子、うるほひは充つ、
さやかなる音をば聽かずや、
流れよる命(いのち)の小川
涓滴(したたり)のみなもといでぬ。

夢みしは何のあやしみ――
身はうかぶ光の涯(はて)か、
ゆくすゑの梢ぞかなふ
琴のねの調のはえか。

うづもれし殼にはあれど、
なが胸の底にしもまた
歡樂(よろこび)を慕ひつくすと
あくがるるあゆみ響くや。

萌えいでてさらば一月
菫草(すみれ)こそ君が友なれ、
生(お)ひたちて、やがてはある夜
眞白百合(ましらゆり)君に添はまし。


われただひとり佇(たたず)みて
聽けば寂しやささやきを、――
そは白き日の洩(もら)すなる
天(あめ)のささやき、遠海に。

幽(かす)かなれどもあきらかに、
しづかなれども燦(きら)めきて、
輝く天のささやきの
解(わ)きがたきかな、遠海に。

嗚呼高き虚空(そら)、遠き海、
際涯(はて)なきものの世にふたつ、
かたみにあぐる盞(さかづき)に
光あふるる虹の色。

酌めるは何のうまざけぞ、
この世ならざる歡樂(よろこび)の
まよはし纒(まと)ふ眞白手(ましらて)に
祕めて釀(か)みけむ戀の酒。

眞晝(まひる)は滿ちてかがやけど、
誰か來りて白銀(しろがね)の
天のひかりのささやきを
かの遠うみに慕ひよる。

そのささやきを解(わ)きてこそ、
さてこそ星のいただきに、
かしこに百合の園ありて、
薫香(かをり)いかにと知るべけれ。

さてこそ、海は飜(ひるが)へり、
潮(うしほ)は華とみだれちり、
ゆたかにうかぶ鹽※(「さんずい+區」、第3水準1-87-4)(しほなわ)に
化(な)りしすがたも趁(お)ふべけれ。

幻影(まぼろし)なれば觸れがたく、
ただ華やかに身をめぐる、――
解(わ)きしは、さても知りつるは
何ぞ、いかなる祕事(ひめごと)ぞ。

さめてはすべて言ひがたし、
慕ふのみ、はた、忍ぶのみ、――
幻影(まぼろし)なれば移(うつ)ろひぬ、
眞晝もやがて傾きぬ。

今眼(め)に入れるかげ見れば
小甕(をがめ)は浪に燃え浮び、
甕のおもてはかがやきて
火もて描(ゑが)ける火の少女。

幻影(まぼろし)はげにここに盡き、
小甕は浪に沈むとき、
わが身――焔の琴の絃
火の小指(をゆび)もて誰か彈(ひ)くべき。


落葉林(おちばばやし)の冬の日に
さいかし一樹(ひとき)、
    (さなりさいかし、)
その實は梢いと高く風にかわけり。

落葉林のかなたなる
里の少女は
    (さなりさをとめ、)
まなざし清きその姿なよびたりけり。

落葉林のこなたには
風に吹かれて、
    (さなりこがらし、)
吹かれて空にさいかしの莢(さや)こそさわげ。

さいかしの實の殼は墜(お)ち、
風にうらみぬ、――
    (さなりわびしや、)
『命は獨りおちゆきて拾ふすべなし。』

さいかしの實は枝に鳴り、
音もをかしく
    (さなりきけかし、)
墜ちたる殼の友の身をともらひ嘆く、――

『嗚呼世に盡きぬ命なく、
朽ちせぬ身なし。』――
    (さなりこの世や、)
人に知られでさいかしの實は鳴りにけり。

風おのづから彈きならす
小琴ならねど、
    (さなりひそかに、)
枝に縋れる殼の實のおもひかなしや。

わびしく實(みの)る殼の種子(たね)
この日みだれて、
    (さなりすべなく)
音(ね)には泣けども調なき愁ひをいかに。

かくて世にまた新(あらた)なる
光あれども、
    (さなり光や、)
われは歎きぬさいかしの古き愁ひを。


昨日(きのふ)緑の蔭にして
ふたたび君と相見てき、
こはゆくりなさそのままに
邂逅(めぐりあ)ひつつ別れけり。

胸には淡く殘るとも
面影の花朽ちざらむ、
わかれきてこそいや慕へ、
名をだにしらぬ君なれど。

君星眸(まなざし)のをやみなさ、――
雲にあふれて雲をいで、
光は裂(さ)けて榮(は)え顫(ふる)へ
野に野の草をわたるごと。

君星眸(まなざし)のをやみなさ、
たまたまやどすその影の
胸になやみの戸を照らし
ふかき園生の香に入れり。

夜こそ明けけれわかやかに、
ああ歡樂(よろこび)の日に遇はば、
高きその日は見ずもあれ、
光に添はむわがねがひ。

馨香(にほひ)はされど驚きて
などかはそむく戀の花、
君おもかげの花なれど
あまりわびしき夢のかげ。

戀のながれのわれや水、
ながれて底に沈めども、
水泡(みなわ)と浮び消えもせで
かの星眸(まなざし)のなほも殘れる。


眞白き霜の曉に
香もなき枇杷(びは)の花に來て、
小鳥かなしきまなざしは
うすき日かげにただよへり。

小鳥よ、いましものうげに
鳴くは羽がひの冷ゆるとや、
冬かくまでにうら寂(さ)びて
なさけの園は遠しとや。

雪雲(ゆきぐも)とぢて風冴えぬ、――
鳴くねあはれのおとろへに、
よろこびかつてあかざりし
ふしの華(はな)やぎ聽きわかず。

宴樂(うたげ)の海も時來れば
醉の潮(うしほ)の落つる間を、
干潟(ひがた)に拾ふうつせがひ
その盞(さかづき)を誰か汲む。

女神手をとり野に引くと
ゆめみてさめし曉に、
などその夢のたのしくて、
この鳴く聲の悲しきや。

わが夢の門(と)にさまよひて
香もなき枇杷の花を啄(つ)み、
氷雨(ひさめ)のうつにまかせては
傷(いた)ましきかな汝が姿。


光は白き鳥となりて
輝く空の黎明(あさあけ)に、
めざめてもなほ麗はしき
夢の翅(つばさ)や。

曉星(あかぼし)清き天の園に
瑞木(みづき)は匂ふ彩(あや)の氣息(いき)、
見よ雲もまた命ある
香にこそ染まれ。

世は新しき日にかへりぬ、
運命(さだめ)の車いと暗き
轍(わだち)のあとも古歳(ふるとせ)の
塵にかくれよ。

何處(いづこ)に人は徂き果つとも、
この日めざめし天の戸の
光の誘(さそ)ひとことはに
われはたのまむ。

溶けたる瑠璃の高き淵に
雲は流れて注ぐ時、
焔うかべし朝のいろ、
朝のよろこび。

太虚(みそら)の宮殿(みや)の階段(きざはし)踏み、
聖(きよ)き扉に手を寄せて、
誰(た)が權威(ちから)にか披(ひら)きけむ、
樞(くるる)ぞ響く。

げに今白き鳥となりて
光は天(あめ)を離れけり、
天を離れてわか草の
野にこそ降れ。


短詩飜譯の四くさをここにかかぐ。その一は鬼才ブレエキ作“Sun-Flower”にして、その二は作詩典雅をもてあらはれたるランドル七十五歳生誕日の翌某女友に遣れる述懷の詠なり。その三はダンテ、ロセッティ幽婉の傑作、わが愛誦措かざる“Sudden Light”の一篇、その四はクリスチナ、ロセッティの數多かる抒情の歌のうち“One Sea-Side Grave”と題せるを擇びつるなり。四章もと寸璧のかがやきことに著るしけれど、そのうるほひを傳へむことはむづかし。

(ブレエキ)

ああひぐるまや、日のあゆみ
ひねもすかぞへ倦みつかれ、
旅ゆくみちのはてといふ
うまし黄金の國を趁ふ。

うらみうせつるますらをも、
雪衣(ゆきぎぬ)かつぎ逝(ゆ)きし子も
墓よりいでゝたづねよる
國へわれもといのる日ぐるま。

(ランドル)

爭はざりき、爭ふも益(やう)なき世や、
めでしは自然(しぜん)、そをおきて藝術(たくみ)のわざ、
雙手(もろて)命(いのち)の火にかざしぬくめしかど、
火ぞ沈む、嗚呼何日とてもかしまだたむ。

(ロセッティ)

そのかみここにはありけむ、
いつぞ、いかにと語りあへねど、
さながらなりや外(と)の面(も)微草(をぐさ)
鋭(と)き美(うま)しかをり、
嘆く浪の音(と)、磯めぐる燈火(ともしび)のかげ。

そのかみ君をも知りけむ、
いつの世ぞとはえもわかねども、
燕(つばめ)さすかた頸(うなじ)を君
さはかへすとき、
面※(「巾+白」、第4水準2-8-83)(かほぎぬ)おちぬ、――そは昔われこそ見つれ。

そのかみかくこそありけめ、
うづまく「時」のすがひゆく間や、
二人が戀はまた身に添ひ、
朽ちまじとさては
夜も日もおなじ歡樂(よろこび)にかへれるやいざ。

(クリスチナ、ロセッティ)

おもひもいでず薔薇(さうび)さへ、
おもひもいでずうばらさへ、
さても麥刈つかれはて
積みし穗によりねぶるごと、
しかせむわれも黎明(あした)まで。

寒きは寒き臘月(らふげつ)の――
過ぎしはゆきし日のごとき
その間も一人われをおもふ、
世はみな忘れはつるとも
なほ一人のみわれを憶ふ。

破船の後――南海の孤島

海ぞわが戀、いかなれば
おもひかなしき、
    海ぞいのち、
見よ浪はあふれ、日こそ照らせ。

うかび來つれば身も船も
しぶきのしづく、――
    ああわたづみ、
しづくとくだけし船を見ずや。

さだめは土に歸る身も
海に就かまし、
    ただねがふは
海に生(い)き滅(ほろ)び、土と朽ちじ。

飮まむか海のさかづきに
恐怖(おそれ)の一夜(ひとよ)、
    あらしと浪と
かげこき雲とに釀(か)める酒を。

ひとたびはわれら口づけし、
されどなほさむ、
    幸(さち)なの友、
船のみくだけて、なほながらふ。

酌まむかさらば浪熱く
とけしほのほを、――
    夢ふかかれ、
こゆかれその酒、そのあやしみ。

幸(さち)なのともよ、蔭もなき
珊瑚(さんご)の島ね、――
    日こそ燃ゆれ、
井をもとむれども潮(うしほ)湧(わ)きぬ。

渇(かわき)はやまず、うしほのみ、――
ただ海の水、
    いかにかせむ、
玳瑁(たいまい)を焚(た)きて潮(うしほ)煮(に)たる。

誰(た)そこの小草(をぐさ)くれなゐの
草の實すつる、
    ああこの時
などかはおそるる、こを賞(め)でずや。

われこそさらば口づけめ、
なつかしの實や、
    知れわが身を、
汝(な)はこれわが夢、わがまぼろし。

なさけはふかき潮(うしほ)より
凝(こ)れる※(「さんずい+區」、第3水準1-87-4)(あわ)しも、
    島根さんご
紅(くれなゐ)の實とぞさはやどれる。

死よりもつよき戀とこそ
はやく聞きつれ、
    海のみなみ
かがやき媚(こ)ぶるやこの草の實。

かつては清(す)みしわがいのち、
花瓶(はながめ)の水――
    花ははやく
世をば萎(しぼ)み去りて、――水は海に。

海ぞわが墓、ここにして
何かなげかむ、
    死の盞(さかづき)
戀の實(み)したたり薫(くん)ずるをや。

今またさしも寄りそふか
おもひのかげよ、――
    わが眞白手(ましらて)、
いざこのさかづき飮みほしてむ。

わたづみの戀、海の日や、
照らせあふれよ、
    夢ふかかれ、
濃ゆかれこの酒、このあやしみ。

(明治三十六年五月刊)





底本:「日本現代文學全集 22 土井晩翠・薄田泣菫・蒲原有明・伊良子清白・横瀬夜雨集」講談社
   1968(昭和43)年5月19日初版発行
   1969(昭和44)年10月1日第2刷
底本の親本:「獨絃哀歌」白鳩社
   1903(明治36)年5月25日発行
初出:例言「獨絃哀歌」白鳩社
   1903(明治36)年5月
   獨絃哀歌 (十五首)「明星」
   1901(明治34)年8月
   靈鳥のうた「獨絃哀歌」白鳩社
   1903(明治36)年5月
   佐太大神「明星」
   1902(明治35)年
   新鶯曲「新聲」
   1902(明治35)年
   星眸「新聲」
   名珠餘影「明星」
   1902(明治35)年
※底本では副題のように見える「哀調の譯者に獻ず」は底本の親本ではページをあらためてページの左右中央に組まれています。
入力:広橋はやみ
校正:荒木恵一
2015年2月28日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。




●表記について

「石+滴のつくり」、U+25550 210-中-11